青空を目指して2

どこまでも続く日々日常。ゲーム・音楽好きのおっさんの半生。日々日常とちょっとだけ思ったことの日記。

ダイエットについて考える

体重を落とす、と言うことは人間にとっては無茶な行為であること、と言うことに最近気づいた。人間の体の仕組みは良くできていて、基本的に命を守るためのシステムが多く含まれている。痩せる、と言うことはどういう事かというと、要は死に直結する行動な訳だ。エネルギーの追加が行われない状態な訳だから。太る、と言うことはこの痩せると言うことに対しての命を守るシステムの一つで、人間にとっては自然な行動だ。燃料が手に入らない時の緊急用代価燃料として人間の体は脂肪を蓄積するわけだ。別に脂肪は悪者じゃぁない。緊急時の燃料や体を守るなどの有益な役割も多い。
人間ってシステムは命を止めるようなシステムは基本的には組み込まれていないと、自分は思う。だから、死につながるような動きは自然には導けないはずだ。
人間は脳が停止すると即座に死につながる。そのために人間の脳はどんな方法を使っても稼働するための燃料を生成する。糖質が無いからと言って停止するような柔なシステムではないのだ。そんなシステムは正直使い物にならない。ちゃんと人間の体の中で作られる全てのエネルギーを脳は使うことが出来、人間システムは最後の最後まで脳を生かそうとする。脳こそCPUで、全てを司る物だから。だから脳死が死になる。
太ることが飢餓に対する防衛策だから、当然飢餓状態になると脂肪を燃焼させるシステムに体は切り替わる。確かに糖新性などは筋肉も消費するが、筋肉を消費することがどれだけ人間にとって危険な行為かは明白でそんなことを延々と続けるわけがないのだ。筋肉が無くなる=燃料摂取の行動がとれなくなる。さらに言えば心臓だって筋肉だ。エンジン停止をさせるようなアホなシステムはないだろう。
人間は飢餓という生命の危機に直結する時のために様々な防御システムが入っているのだ。その一番の防御システムが脂肪蓄積なのだ。飢餓の時は、まず筋肉量を少し減らし(基礎代謝を落とす)、ケトン代謝が活発になり脂肪燃焼システムが発動する。まずはコレでぎりぎりまでしのぐのだ。それが無くなった時に初めて、人間の中に最後に残された筋肉や骨までを脳の燃料とするために使う。その供給も限界まで訪れた時に死が訪れるのだ。

世の中いろんなダイエット方法や理論があり、半ば宗教めいている気がしてならないが、この辺の生命維持の理屈をまるで無視した物が多い気がしてならない。痩せることは命に関わる行動なのだ。痩せると死が待っているのだ。その防衛策の太ることに対しての人間の無防備さと言ったら。人間は際限なく太れる。その代償はいろいろあるんだが、脳は体が太っても死なないから。たぶん脳にとっては代謝機関と脂肪に囲まれているだけでそれ意外なにもできなくても安心して生きていけるのだろう。
こうして考えると、人間の体って言うのは脳を生かすための入れ物に過ぎないのかもしれないね。脳こそ人間の本質、ってことなのかな。

こういう大原則に従って考えれば、いろんな理屈の正しいか間違ってるかは見えてくると思う。
馬鹿な理屈に踊らされないで欲しい物だ。
(まぁ、そういう人たちが多いから社会は成り立ってる、という気がしないでもないが。)