青空を目指して2

どこまでも続く日々日常。ゲーム・音楽好きのおっさんの半生。日々日常とちょっとだけ思ったことの日記。

鬱について考えた

以前から自分は鬱病はその人を取り巻くリアルな現実環境とその人自身が思う「そうであるはず」の自分のビジョンに決定的な「ずれ」が発生し、「そうであるはず」のビジョンにこだわり(捕らわれ)リアルな現実の受け入れを拒否してしまった人だと思っていました。
リアルを拒否するから自分の殻に閉じこもり周りが見えなくなる。
リアルを拒否するからリアルでの行動が不能になる。
最終的にリアルな自分を全否定して、自分を殺す。

昨日会社帰りにぼーっと考えてて、なんでそうなっちゃうのかな?とふと考えちゃったんですよ。
で、その時考えたのがこんな事。
基本的に鬱になる人、って言うのは周りの環境、他人の力を受け入れることを基本姿勢としている人達なんじゃないかと。行ってしまえば「受け身」な人達。自分に向かってくるベクトルの事象を取捨選択することのみが自分の意思であり、自分から外に向かうベクトルの事象が少ない人なんじゃないかと。
そういう人達も取捨選択が可能で、その取捨選択をすることであまり自分に問題がない間は特に当たり障り無く生きることが出来る、と。
しかし自分に向かってくる事象があまりに自分にとって不都合な物、受け入れたくない物、受け入れても処理が出来ない物が増大して行くにつれて、全てを拒否していく様になってしまうのではないかと思う。
しかし自分の中では一定の取捨選択ロジックがあり、それがその人のアイデンティティーとなっている。しかし現実においてはそのアイデンティティーは機能しなくなっており、どんどんリアルと作り上げたアイデンティティーとが乖離していく。
というプロセスを考えてしまった。

僕が鬱の人に勧める改善方法は「今のありのままを受け入れる」としてたんですが、上のプロセスを考えると少々理屈が変わるかな、と。
ありのままを受け入れるって事は、うえのプロセスで言うと自分が積み重ねて構築してきた「アイデンティティー」を全て捨ててしまえ。壊してしまえ。と言う事なんですね。自分が思う自分を全否定する。そして外部(リアル)世界にある「アイデンティティー」に染まれ。と言ってるんだ。と。
これは難しい事だ。これは怖い事だ。
ただ自分はそこで終わりではなく、そうした上でじゃぁ今の自分にとって必要なことは何のだ?と考えていくことだと思うんですよね。そこで改めて取捨選択を初めて、新しい自分のアイデンティティーを作ってしまおうよ、って事。

ちなみにこのプロセス的に、アイデンティティーの構成が外に向かうベクトルで構成されている人は鬱にはなりにくいと思ってます。リアル世界に向かって自分像を常に押しつけ続ける訳ですから。そういう人が鬱になるのは、そのベクトルをリアル世界が全て拒否し続けた時でしょうかね。

もひとつこれも勝手な意見。
抗うつ剤とかってのは、基本的にこの自分が作ったアイデンティティーを一時的に消す物だと思います。何も考えなくていい世界を作ってる物だと。
ただその先がないから怖いよな。ただのなんでも受け入れて疑問のないロボット状態みたいな物だと思うし。で、薬切れたらまた現実が帰ってきてさらにその状況との乖離に苦しむ、と。まさに無限地獄。