青空を目指して2

どこまでも続く日々日常。ゲーム・音楽好きのおっさんの半生。日々日常とちょっとだけ思ったことの日記。

生み出される結果Part2

同じ仕事量、同じ経過時間にもかかわらず結果に差が出てしまうのか?
これは簡単。差があるのは止る/止らないの判断を自分で行っているか、他人に強制されているかの違いがあります。
同じ結果になるにもかかわらず自分で決めてやったことは気にもならならず素直に受け入れられるが、他人に強制されているとどうにもイラッと来る。結果に納得がいかない。
なにも思わない人もいるかもしれませんが、世間では、少なくとも京阪神では信号の黄色〜赤で止らない人達が圧倒的に多いと思うので、信号で止められることはあんまり快く思っていないと思います。
どっちも結果は同じだと受け入れてしまえば、実際には腹も立ちません。これは状況分析ができていなくて、無駄な労力を使ってしまっていることになります。もしかしたらいらついてこの先でアクセルを踏みすぎて事故を起こすかもしれません。かなり損をしていると言う事です。

視点を変えてみます。個の道で信号を立てることに意味がホントにあったんでしょうか?結局導き出される結果は同じなのに、多くのこの道の使用者は明らかに止められて苛ついています。その先で事故が多発しちゃったかもしれません。ここに有人の信号を立てること自体無駄なコストの塊かもしれません。無駄なコストを払い、使用者を苛つかせ、回りでトラブルを誘発させるという意味のわからない状況を作ってるのです。
と、こんな書き方をすると信号意味なくね?となりますが、ホントにこの行為は無意味なんでしょうか?
(Part2おわり)