青空を目指して2

どこまでも続く日々日常。ゲーム・音楽好きのおっさんの半生。日々日常とちょっとだけ思ったことの日記。

テロマエ・ロマエ

原作を読み直して改めて感じた。ほんとにギャグパートの再現は良かったなぁ、と。原作のよさを理解したうえでさらに大げさに、さらに追加をとがんばっていて漫画を読みながらもう一度見たいなぁ、と思ったほど。
ただしやっぱり後半は見たくない。時間の無駄。
なんとなくこんな場面が思い浮かんだ。
監督・脚本家「これが、テルマエロマエ映画版の脚本です。原作のよさを目いっぱい引き出したギャグ作品で…」
だれかA「うーん。こういうのじゃダメなんじゃない?華が無いよね?オッサンと爺さんだけじゃね。女優だそうよ、女優」
監督「じゃぁ上戸彩を…」


だれかB「ギャグ映画なんてだめでしょ?せっかくタイムスリップするんだから時代をまたにかけたスペクタル展開こそ映画でしょ?」
脚本家「じゃぁそういう展開入れます…」


だれかC「涙のない映画なんて、一般人が喜ぶと思ってるの?売れるわけ無いじゃん。」
監督・脚本家「はぁ・・・」


監督、脚本。言われるがままのものを丸ごと後半戦にしよう。前半はやりたいように。評価見てろよ…。


なんてやり取りが画面から伝わってくるような。
監督・脚本からすれば後半駄目だった、と言う評価はしてやったりの評価だったりして。
ただ、だれかA、B,Cなんてのは評判なんてどうでも良く見るのは数字だけ。数字がよければ「それみろ。おれたちの意見があったからだ!」数字が悪ければ「やっぱりギャグなんて受けないんだよ!、全部俺たちの言うようにやっときゃ良かったんだよ!」とお構いなしだろうからな。たちが悪いぜ。


いや、あくまで勝手な想像ですけどね!