青空を目指して2

どこまでも続く日々日常。ゲーム・音楽好きのおっさんの半生。日々日常とちょっとだけ思ったことの日記。

あくまでも考え方の話

年金崩壊とか言われている。支給時期も遅くなり支給金額も引くくなっていく。まぁそれでも自分らの世代は出るんじゃない?とか思ってるけど、実際問題自分とかは未納期間が多くろくに出るものも出ないと予想される。今はまだ十分仕事が有ってそこそこ稼げているんでいいけど、正直自分らの仕事がいつまで続けることができるのかは謎。自分自身のスキル的には周りの外注連中とは一つ二つ頭抜けてるとは思うが、それもこの先どれだけのアドバンテージにつながるかは正直見えない。今売り込めるだけ売りこんどかなきゃね…。っても思うが、勤怠とかあんまり良くないのも事実。仕事的には全然問題はないがそういう事ばかり気に掛けることができないやつらもいまだに確実に存在する。仕事のできやしなんか関係なく大人しい頭数を入れれて、客との折衝が減る技術者が売れればそれでよい、と思ってる糞営業、クソマネージャも一定数存在するという事だ。時代はシフトしつつあるとは思うけどね。と話がそれた。
将来年金支給時代に入った時、自分自身はたぶんしがらみもなく、自分一人を食わせていくだけだと思うと別に年金無くても生活保護でもうけてりゃそれでいいんだろうな、と最近は思う。で、そういう風に考えたら、一つ思い出したことがある。たぶんキーは年金じ受給の年齢。60歳。なんていうかたぶん大きな声では言えないけど、この年齢設定って「もうろくに働けないんだから、隠居しろ」って年齢の基準なんだろうね。で、じっさいその後数年で死んじゃう資産の元年金設定されてたが、実際のところみんな働くわ、生き延びるわでなんか計算が合わない。若い人の働く場所にはいつまでも爺がいるし、年金は予定以上に出ていく一方。そんなこんなで先細りしていっているシステムなんだよね。またちょっとそれた。
要するに60歳ってのはもう社会的に責任を果たし、もう老後ってことなんだわさ。今は寿命伸びているけど死ぬまで適当に生きてくれや、ってこと。
でもこれってむなしいね。まぁほんと昔のシステムで必ず配偶者がいて、次の世代の、次の次の世代の家族がいて、手厚く保護されている時代のシステムだよね。それに比べて今の自分は次世代どころか配偶者すらおらず、出来る予定もなく。つまり働けなくなったらただ滅びるだけのゴミなわけ。ボロボロになっていざ放り出されても、体は衰え切り、心は無欲に無感動になり、時代にもついていけない。ただのリビングデッド。そんなの楽しいのかね?
で、話を戻すと結局年金が出ない、生活保護するよ。って言うのであればさっさとドロップアウトしてまだ肉体的に生きている間に楽しいことやりつくしてさっさと死んじまったほうがいいんじゃね?って思い出したってこと。今の仕事が続くうちはいいが、途切れがちとかになったらさっさとドロップアウトして、細々と余生を楽しめばいいんじゃね?なんて思い出しているわけさ。
いろんなシステムが旧時代のシステム前提で作られてるわけで、それが変わっていっている今、役に立たなくなってきてるように思うのね。でも今の時代を牛耳ってるやつらは古いシステムに乗っかってる人たちで、そのシステムで逃げ切りたいんだよね。あとの事なんか関係なく。どこもそう。