青空を目指して2

どこまでも続く日々日常。ゲーム・音楽好きのおっさんの半生。日々日常とちょっとだけ思ったことの日記。

テトリス道

自分がテトリスをやってそこから導き出したいくつかの教え。その中の一つに「一つ一つの出来事にこだわり過ぎない」と言う物がある。
TGM(TetrisGrandMaseter)というゲームは恐ろしい速度でブロックが振っているゲーム性である。フィールドに現れた瞬間にブロックは着地しており、落下しない。そのブロックを数フレームの間に処理すると直ちにまた次のブロックが現れる、といったゲーム内容で知らない人がやるとものの数秒で全く動かせずブロックは積みあがるという恐ろしいもの。
そういう恐るべき速度で展開していくテトリスにおいて、詰み間違いなんて日常茶飯事。考えていなければ瞬間的にブロックは接地していく。考えていても操作ミスでうまく行かないことだって日常茶飯事。
ここにおいて学びがある。思い通りに行かないブロックの配置をしてしまった時に「あ!やっちまった!道リカバリーすべきか!?」と考えてはダメなのである。こういう意識の動揺、一瞬の思考停止。で、思い直したときにはすでに数個ブロックが積まれているのである。こんな考えは一瞬なのだけど。この一瞬の揺らぎにも状況は待ってくれない。次々に止まることなくブロックは落ちてきているのである。ミスをして、気を取り直した時にはさらに状況は悪化。ここで更に焦るって気持ちが乱れるとまたその意識の一瞬の空白にブロックが積み重なりどんどん状況は悪化し、すぐにもう手をつけられる状態ではなくなり詰みになる。
コレをやっていると全くゲームにならない。一手でも間違った瞬間にどんどん状況は悪化するなんて厳しすぎるし、どんなにうまく詰んでいたって綺麗に処理できないブロックが振ってくることなんて当たり前のように発生する。そのたびに終るようではいつまでたってもうまくならない。
そこで特訓したのが、どんな詰み間違いをしても心を揺らさない訓練だった。詰み間違いを単なる当たり前の一手として受け入れ、そこにいらない思考を介在させない。一瞬の心の揺るぎもさせず、通常通りにたんたんと次の一手を捌いて行く。一手一手捌きながら余裕を持って全体の様子を把握し、ミスの回復方法を検討、こういうのも全て、通常通りの作業を崩すことなく行いながら裏で考える。そして方針が決まったら静かに一手一手を変更して行き、長い目でそのミスをリカバーしていく。
ミスは当たり前にある。思い通りに行かないこともだ。ただそこで立ち止まってはいけない。降りかかってくる日々日常を淡々と処理していく中でリカバリーしていかないといけないのだ。
コレをしないと気がつくと回りは問題ばかりで身動きが取れなくなっている。この先にもテトリスで学んだ理論はあるのだが、今回は書かない。
コレは現実世界での鬱の発生メカニズムになっていると自分は思っている。一つの躓きに心奪われている隙に周りを固められてしまう。問題がつみあがってしまう。それで身動きがどんどん取れなくなっていく。そういうものだと思っている。
日常生活でも多少の問題はそれはそれ、と受け入れとりあえずどんどん次に行くべきである。そして余裕が出来た時にしっかりリカバリーしてゆけばよい。そうすべきである。と自分は考える。