青空を目指して2

どこまでも続く日々日常。ゲーム・音楽好きのおっさんの半生。日々日常とちょっとだけ思ったことの日記。

ビジネス制御系プログラマの憂鬱

ビジネスなんだからお金を稼いで何ぼなんだろう。でも自分はいまだにそういうのにしっくり来ない。理屈ではわかっているんです。でも自分の仕事は物を作ること、と言う職人気質がいつまでたってもメインにあるんです。
ビジネス制御系プログラマは大きな会社組織で仕事をするのです。そういう大きな会社って言うのはものづくりをしていない人たちは圧倒的に多いのです。でもものづくりには必ずそういう人たちが関わってくるものなのです。そういう人たちは物作りができないから何をするかって言えば、わかりやすいところでは営業です。仕事を取ってきて、物を売る人たち。こういう人たちはまだわかりやすくお金を動かします。われわれとも深く関わります。ただもっと何もしない人たちも一杯いるものなのです。ほんとただ見ているだけ、てきな人たち。品質を管理しているとか言う人たちです。こういう人たちの仕事は実に適当です。品質って言うのは作っているもの中身を評価するわけではないのです。あくまで外から見ていちゃもんをつけたり、定量的な判断手法を考えて評価を定量的に行おうとするわけです。定量的に行うって事は、そのためのアウトプットが必要になってきます。それは決して僕らが作っている商品ではないのです。彼らの評価をするために必要な資料なだけなのです。彼らはあの手この手を考え、この資料を作れ、あの資料を作れといいます。それは実際のところ中身とはたいして関係なく、彼らの判断を定量的に行うためだけの資料であり、フォーマットにしたがって中に必要な事が書かれていればそれでOKな資料となります。逆に言うとどんな本質的な内容が書けていようが、彼らの定量的判断が出来ないものはNGになるわけです。そのために出す資料は内容より、彼らの求めている答えを捏造することが本質となってきます。だって、本当の現場の事情を書くと受け付けてくれないのですから。品質を評価するための資料ですが、品質が定量的に担保できないものを出しても受け付けてくれないからどうしようもないのです。そうなるとそれは品質を判断するものではなく、単純に彼らが作った基準に合うものを彼らのために作っているだけに過ぎません。そこには現場での作業や物とは大きな乖離があります。
ただこういう人たちの判断結果をまだインプット資料とするマネージメント層の方々が圧倒的に多いために、マネージメント層を満足させるためには管理層の人たちのための餌を与えてやらないといけないことになります。そのため現場は本来の物づくりとは別に彼らの餌を作る、という2重のラインが出来てしまっていす。
ただでさえ現場は経費削減だのなんだのと言われているのに、本来のものとは全然関係ないものを作らないとお金がもらえないのです。本来のものを作る時間しか与えられていないのにですよ。
ただ自分らだって実際のところどうせ作るなら意味のある資料を作りたい、と考えるわけです。品質そうのこうの言う人たちは実際中身は見ていませんが、元々の手法はほんとに品質を上げるためにはどうすればいいか?と真剣に考えている人たちが考えたメソッドなのであります。その手法の上辺だけを使って彼らは仕事をしているだけです。ほんと頭使えよ。
で、そういうものなんだから正しい運用をすればきっとこっちにもメリットがあるはずだ・・・。と思い現場の作業をなんとか適応化させていくわけです。しかし適応化したら何が起こるか。品質管理の人たちにとってはあんまり都合の良くない真実ばかりが出てくるわけです。彼らの仕事を増やす現実が産まれてくるわけです。そうなると彼らはどうするか。そんな手法は即座に切り捨てます。自分らがせっかく適応してきた手法はあっさり捨てて、こっちの作業が大詰めに来たころに、今回はこういうの書いてね!ってただ資料のフォーマットだけ渡してきます。
こんなことの繰り返しです。延々と繰り返しです。繰り返されるちゃぶ台返し。そんなことに現場は疲弊しやっぱりただ数字合わせをしただけの都合のいい真実しか書かれていない資料を量産します。それをみたマネージャーは安心しお金を出しますが、結果的にろくなものは完成せず「なんでこうなった!」と怒鳴り込んできます。で品質管理の人たちはまた新たなフォーマットをどこからともなく持って来て現場に適応しようとします。彼らは何の責任感もなく。
毎度繰り返されるただのマッチポンプ。いくら物づくりに関わっても物と現場を見ようとしない人たち。都合のいい数字意外に見ようとしない人たち。そんな人たちの餌を作る仕事を自分は理屈ではわかっているがいまだに受け入れられていません。
なんなんでしょうね?こういうの。いまだに大企業はこういう病から抜け出せていません。こうして少しずつみんな病んでいきながらただ終る時を待っているのです。何もなく無事に終ることをそっと祈りながら今日も現場は餌をこねくり回す憂鬱な作業をしているわけです。