青空を目指して2

どこまでも続く日々日常。ゲーム・音楽好きのおっさんの半生。日々日常とちょっとだけ思ったことの日記。

日曜

今日は嫁ちゃんの実家の嫁兄50回忌の法事に行ってきた。自分の家のほうが寺、かつ親戚付き合いがほとんどない家庭だったのでこういうイベントは親父の仕事(坊主)以外ではほとんど経験がなく。さらに成人になってからは特に周りの知人、肉親にも特に不幸が無かったので。考えてみるとほんと自分の縁の少なさと幸運さを表しているね。
箕面の山にある霊園の総合施設的なところで嫁家の家族のみが総集結した小規模の法事でした。見た感じ飾りつけがうちの宗派のスタイルと一緒だったので曹洞宗かな?般若心経かな?と思っていたらやはりそうだった。なんというか、親父以外のお経を聞くのが久々でちょっと新鮮だった。なんか聞いていて、いろんな人のお経を見てみたいなぁ、とか少し思った。
しかしほんとに黙々とお経を唱えるのみ。こりゃ子供達には退屈だよなぁ。俺も小さい頃法事とか耐えれなかったもんな。大人になってお経の内容がある程度わかったりして、あと宗教儀式的な意味が分かるようになったら多少は「ふむふむ」とは思うがやはり退屈。なんて言っちゃいけないんだろうな。ただどうしてもそういう環境で育った人間なんで法事とかお経とか、そういうものに特別感が全くないんですよね。日常の風景。親父はいつもお経唱えてる。
お墓参りもして都会の最近の墓の斬新さに感心するばかり。やはりこういう場所に特別感を感じない俺。
こうやって世間一般の行事に参加すると改めて俺って浮世離れしているなぁ、と痛感する。ほんとこういうイベントにある意味縁がない。
って言うか縁がないんだよな。いろいろと。歳とっていってどんどん人間関係が億劫になっていく。身の回りの大事な人たちとの縁を保つだけで精一杯な俺。最近いろいろ考えさせられますわ。

夜は法事参加者でかごの屋でしゃぶしゃぶ食べ放題を食べる。会社の宴会以外でこんな大人数で食事をすることなんていつ以来だろう。さらに嫁家の人間は下戸ばかりで酒は一滴も出ない。そりゃ飲んでいいですよ、とは聞かれるが車で来ているし、この集まりで呑んでも浮くだけだしな。ただひたすら食べた。ほんとこういう時どうふるまうのが正解なのか、まるで分らない。ただただ愛想笑いを振りまくのみ。コミュ障なのかなんなのか。
飯会が終わって車で帰ろうとしたらなんか嫁親族に盛大に見送りされる…。もうどうしていいのか@@;
帰って疲れ果てて寝る。