青空を目指して2

どこまでも続く日々日常。ゲーム・音楽好きのおっさんの半生。日々日常とちょっとだけ思ったことの日記。

生死観

ある意味おれとおかんは同じステージにいるんだ。二人とも医者に「このままじゃ死にまっせ?」と言われちゃった人間。故におれは今回の件に関しても、ある意味ここまで冷めて見る事ができるんだと思う。さらに思うんだよね。死ぬよ、と言われるからこそ生まれる価値観があるって気づいて欲しいと。
今年の震災でも台風でも、なんなら交通事故でも。人の命なんて物はなんの前触れもなく、とてつもなく理不尽に、一瞬にして訪れる物なんだよ。現代社会は巧みに死という物を隠蔽しているが、紛れもない事実なわけさ。そういう意味ではさ、みんな生きながらに確実に明日死ぬかも知れないステージを生きているわけだ。そのくじ引きがいつ当たりを引くかはわからないが。だから死ぬ事になんの準備もできていない。突然訪れる。どんなに本人がまだやりたい事があったのに…とおもってもその猶予すら与えてもらえない。これは不幸じゃないか?いずれは確実に死ぬのにそれを意識できないって。
それに比べて余命宣言されちゃった人間には強みがある。最悪これぐらいで死んじゃう可能性が高い、と思えばそれに合わせてプランが作れる。人生設計ができる。やりたい事を後回しにせず、今やれる。それって幸せじゃね?そりゃ期限付きなのであんまりに壮大なプランは難しいけど、そりゃ健常者だって一緒だろ。いつか何とかなると、だらだらくじ引きをし続け、何もしないんなら。

ちゅーわけで、オレはおかんにはそういう気持ちで前向きにこのステージを生きて欲しいと思うんだ。ずっと笑って、やりたい事やって満足して大往生して欲しい。あと、このステージに上がったからといっても別に特別扱いするのも俺は嫌いだ。病気が日常生活にあんまりデメリットを与えないのであれば、何らあんたらとかわらんのだよ?特別扱いスンナ。って思うし。だから周りにどう思われようが、おれは病室でも軽口だし、おかんに対しても結構な暴言ぎりぎりのせりふを吐く。病室にべったりみたいな事もせず、自分の用事がある、疲れたからとすぐ帰る。でも要所要所で話はしっかりしているし、ちゃんとポイントを狙って行っている。

とりあえず親父にももう少ししっかりしろとは話しておいたし、家族間とのとりまとめもやった。既に自分的には引き際を考え始めている。意外に早く元の生活に戻れそうな気がしてきた。