青空を目指して2

どこまでも続く日々日常。ゲーム・音楽好きのおっさんの半生。日々日常とちょっとだけ思ったことの日記。

ある日の午後

色んな意味で疲れた。自分にとっていままで接触する機会がなかった世界。障害者の方とお話をしてきた。自分の中では障碍者だろうが人はヒト。今時ある程度の年取った人間はどっか体に故障を来たしているし、頭おかしい人なんて数知れない。程度の差は有れど健常者と障碍者の差なんて紙一重だと思っていた。自分も健常者の世界の中では差別される側要素を多く持った人間であり、そのために心無い扱いを受けたことも長い人生生きてりゃ何度もある。故に自分はそういうものを差別するのはイヤだし、障碍者であろうとキッと普通の人と同じように扱える、と対岸の火事を見ながら思っていたんだな。
今回実際に触れ合う機会があってその自分の考えが単なる偽善のええカッコしいなのかどうかを試してきた。
当日電話で最初に喋ったときに2回目の動揺。ああ、やはりというか口にも麻痺が来てるか…。当人を見てまた少し同様。やはり全身に麻痺があるか。自立できているし、いろいろ難しいし時間も掛かるがても普通に使える。しょうがないことだろうけど、化粧っけが無いのと、表情が緩んでいるため見ているとオカンやおばあちゃんと話している気分になる。なんだろう。そういう明らかに弱者を見て、慈しむ目で見ている自分を感じる。傲慢だな。色々話し、こっちも割りと変な気を使うことなく(いやすごく気は使ってますが)普段は話し難いであろう「障碍」ってテーマや、そういう人たちの仕事、「宗教」と言ったテーマにずかずか切り込んで行き、向こうもそういう心に溜まったもやもやを話したかったようで緊張も解け、表情も明るくなり色んなことを話してくれた。こっちももともと健常者と障碍者の差なんてほとんど無い、と言う信念の元そういうテーマについて率直な意見を持って普通に話した。やっぱりと言うかなんというか、そういう考え方はあんまり差は感じなかった。やっぱ一緒なんだな、って思った。
長いおしゃべりと食事を終え、この乗りごごちの悪いインプレッサで軽く京都の道を流す。どんなに丁寧に操作をしても、操作のたびに車の動きについていけず体が動いてるのが見える。さぞ疲れるだろう。車の中ではお互いに気も打ち解けて更にぶっちゃけトーク。ケタケタ笑いながらの会話が出来ていた。もうこの頃には僕が最初に感じていた動揺や違和感みたいなものはすっかり無くなり、普通にしか見えなくなっていた。ある意味見た目の問題などその程度のものかもしれない。話などをしていて、どう考えてもこいつとは打ち溶け合えない。考え方狂ってる。って言う健常者など五万といるのに。
まぁそれでも自分はそんなに出来た人間ではない。どんなに障碍者と打ち解けあうことができようが、その重みを自分の人生に取り込む覚悟も自信も皆無なのだ。さらに話してる中でこんなことも言われてしまった。「このひと本気で結婚しようとしてるように見えない。」って。それはココのところずーっと心の中にある、自分自身でも気付いてしまっている疑念で、それを見事に見透かされてしまった。最後の動揺だ。そりゃぁね、俺だって好きなヒトと一緒に暮らせたらいいなぁ。そういうヒトと添い遂げたいし、守ってあげたい。っていう思いはしっかりあるよ。それなら覚悟も自信も持てる。でも、やっぱ何の思い入れも情もない相手に対して相手の人生を受け入れるって気持ちはなかなかそうそう持てないんだよ。ぜんぜん気持ちの整理できてないんじゃないの?俺。
駅で「それではまた何か機会があったら」と別れる。正直「疲れたな…」と思う気持ちと少しのチクチク感を感じながら脱力。自分ってずるくてダメで情けないな。と。でも信念は押し通せたんじゃないかと思う。ギリギリのところで心までモンスターにはならなかった気がする。気持ちを入れ替えてそのあとすぐ押し迫っていた飲み会の予定のためインプレッサを走らせた。同乗者に気を使わずに存分に暴れるインプレッサ。心地よい。ダメダ。身も心も腐ってるw