青空を目指して2

どこまでも続く日々日常。ゲーム・音楽好きのおっさんの半生。日々日常とちょっとだけ思ったことの日記。

ダラダラ

アメトーク見た。だらしない芸人。部屋が片付けられないとか、その言い訳とか聞いてた。なんか痛い。自分も10年前は。20代の頃は実にそうだったなぁ。いや。10年前って言うか前の部屋に住んでたころはまだそうだった。ほんと片付けられなかった。足の踏み場もなかった。当然食事なんかもただひたすらだらしなかった。流しには腐った食器が積まれ使い物にならず、ベランダにはゴミ袋が積まれ放置。袋が腐って引っ越し時たいへんだった。そんな本気のできない人間だったのが、なぜかこの部屋に引っ越してから憑き物でも取れたかのようにいろいろできるようになってきた。いやまぁ今でもその片鱗はあるし、本気で整理整頓できる人からすればまだ散らかっているだろうけど、少なくてもゴミとかは一切たまらないし、それなりに部屋は片付いているし…。気が付いたらゴミとか物を気を付けて目についたら片付ける習慣が少しずつ身についてきている。まぁいまだに散らかすけど。それでも少しずつ整理整頓ができるようになってきた。
こんなことができるようになったのは色々理由が考えられる。この部屋に越したおかげでまずそれなりの収納スペースが生まれたことがまず第一にあると思う。あと部屋が大きくなったおかげで部屋に人を招き入れることが増えた。部屋に他人の空気が入ってくると淀みが減り、掃除が増える。しかしそれより何よりある人の叱咤助言が一番だな、と思う。その人からいろんな掃除、片付け術を教わってそれを実績していくうちにいろんなスキルが身についた。いろんな考え方が身についた。まだまだ及ばないところだらけだが、今自分の部屋が快適なのはほぼすべてその人のおかげだと断言できる。いやほんと頭が上がりません。感謝しかありません。
おかげですっかり断捨離に目覚め、溜め込む性格を改善し、物が捨てられるようになった。結局物を捨てられない、って言うのが。こだわりを捨てられない。いろんな要素を捨てられない。そこが一番の問題だったんだよね。捨てなくても管理できるだけの場所とかがあるならいいんだけど、普通はそんな場所は無い。だから秩序無く放置される。で、それを見て「片付けなきゃ…」とは思うんだけど、今すぐにはできない理由を並べ立て、問題を先送り、先送り、にし続けるんだよな。どんな問題でもそう。何でもかんでも先送り。気が付いたら周りは物や問題で埋め尽くされ身動きも取れないし、外も見えない。でも自分をだまし続ける。これは全部先で必要になるもの。自分の財産だと。しまいにはその言い訳がほんとになって周りの世界とどんどん乖離してゆく。こうして変人はでき、鬱になる。ミニマリストになれとは言わないが、やっぱり溜め込むという行為は、どんなものにおいても淀みを生み淀みは腐れを招くんですよ。たとえそれがお金であっても強すぎる執着はかならず世間との乖離を招く。いろんな商業主義に踊らされている人間なんですね。あと別に物でなくてもこれは一緒で、自分に降ってかかる問題を先送り先送りして積んでいくといずれ問題だらけになり、その問題を片づけない言い訳を積み重ねていき、気が付いたら何もできなくなっていて鬱になる。やけになる。世間と乖離する。これが現代社会の問題だ。
掃除がいろんなことを教えてくれた。問題を一つ一つ、丁寧に片付けてゆく。とくにすぐやれば終わるものは貯めずにさっさと終わらせる。これが大事だったんですよ。で、まわりに何もないすっきりした世界で新しい物を見据えて生きるとあまり悩みは無くなりますし、部屋は綺麗になるんですね。
ただこういう思想は極端になりすぎるとミニマリストの様に宗教じみます。これは一つの問題に入れ込むあまり世間との思想交流が無くなり、同市で集まりさらに淀み、最終的に腐るわけですよ。全部一緒。淀むと腐るんです。これは自然の法則です。物理法則です。
新鮮な空気を常に入れて、部屋や思想をかき回し続ける。それが新鮮な生き方なんだろうな。と思っています。
こだわりをほどほどにし、執着をすて…。ってあれ。なんか仏教っぽくなってきたのでこの辺でw
まあでもね。しょせん死ぬまで生きるだけなんです。楽に生きたいですよね。