青空を目指して2

どこまでも続く日々日常。ゲーム・音楽好きのおっさんの半生。日々日常とちょっとだけ思ったことの日記。

独眼流

片目生活が長引くにつれていろいろと自分自身に変化があることに気づく。
最近いつもやっていることの一つ一つの作業、対応などが丁寧に、一つ一つしっかりと確認して行うようになってきた。いままで勢いや惰性でやってきたことも、一手一手確実に確認し行わないと思わずミスを生む。今まで軽く斜め読みでなんとなく分かっていたようなことを丁寧に読む。確実に確実にしっかり確認しないと怖くて何かが出来なくなる。そんな風になってきた。これはどうなんだろうね。怪我の功名?いろんなことを再確認できて良いのかもしれない。慣れの中にいろんな問題がはらんでいることに改めて気づかされる。
ほかにも外を歩いていると、この世の中がいかに健常者のために作られ、健常者たちは傍若無人に振舞っているか、ということにも改めて気づかされる。夜とかになると今はほんとに見えないし死角だらけになってしまうのだが、当然健常者たちはそんなものお構いなしで、闇に紛れ、自分での確認をおろそかにし、適当にやりくりしていることに気づく。相手がよけてくれて当たり前のごどきふるまい。ほんとに怖い。世の中には良くも悪くもいろんな人が溢れている。自分とは違う物たちで世の中は構成されている。そう思わないといけないことに改めて気づかされる。気を使えとは全く思わないが、信じるな、とは思う。
さらにたまに書いていたが、最近ギターの腕が急上昇している気がする。うえに書いた丁寧な作業、も関係あるのかもしれない。はっきりいっていつも使っているロックスミス先生。こいつから流れる譜面は確実に見えにくくなっている。正直色と場所の都合ですっぽり見えないこともしばしば。オブジェがはっきり見えにくいから当然確認も遅れているはず。でもなぜだ。確実に自分自身の反応速度は上がり、譜面の見切り精度は高まり、確実に演奏レベルが上がっている。このゲームとかは数値で結果が出るから明らかだ。譜面が覚えやすくなっている。音が良く聞こえる。自分の動きがしっかり認識できコントロールできる。いかに今まで目に頼り切って、勢いだけでやっていたのかって言うのが良く分かる。目からの情報が半分になった瞬間にそのほかの器官の精度がぐんと高まっていっている。全ての器官が目のマイナスを補おうとしている。そんな気すらしてくる。
一般的に考えると目が見えなくなるなんて大マイナスでしかないはずなのだが、なぜかこの状況を素直に受け入れている自分がいる。いろいろ不便なことは確実に多いのだが、とても新鮮な気分も確実にあるのだ。そりゃ今だって全盲になってもいいなんて、怖くてとても思えないが、人間にはそれを補おうとするいろんな力があるんだなぁ、って改めて思うし。目に頼らない世界。それはどんな世界なんだろう。そこには絶望しかないのか?なんて本気で思ってしまう。