青空を目指して2

どこまでも続く日々日常。ゲーム・音楽好きのおっさんの半生。日々日常とちょっとだけ思ったことの日記。

健康って何?

随分と体調は持ち直した。理由なんかわからない。回復したんだろう。ただ昨日は一つ勉強になった。肝臓は人体の守りの要である。疲労回復や毒物の排除と言った重要な役割を持つ。肝臓が働かないと体調はいつまでたっても回復しないのである。肝臓はまず毒物などの排除が優先。疲労回復などは余裕が無いと行われない。大雑把に言うとそう言うものだ。ここで知らなかった要素。薬は基本毒。体にとって有効に働く可能性のある、緩やかな毒だと言うこと。これを知っていないといけない。薬は確かに特定の問題の解決に役に立つものではあるが、必ず毒としての面を持っているということだ。薬を毎日大量に飲む、と言うことはそれだけその毒を排除するための肝臓はフル稼働してしまい、それ以外にしないといけない仕事がおろそかになってくる。薬を飲めば飲むほど、特定の症状には効果はあるがそれ以外のことはどんどんおろそかになっていくと言うことを指す。日常的に薬を飲めばその分体力の回復や免疫の維持。そういったものがどんどんおろそかになっていく、と言うことなのだ。更に言えば人間には毒に対する耐性能力なんてのもある。飲めば飲むほど効かなくなる。だから増やす。だからより肝臓は疲弊する。・・・。困ったものだな・・・。
医者に頼り、いろんな問題を病気と言うレッテルを貼ってもらい、薬漬けという気休めを得るのはとても楽なことだ。しかしそれは自己の免疫力を低下させ、体力を低下させ、お金を無くしと何もいいことは無いのだ。病気はしょうがない。体のトラブルだ。医者もいい。ただ最近の医療は少し疑問を感じるのも事実。俺も病院に行くことの多い人間だからなおさら気づく。病院に頼ることを心のよりどころ、ある意味宗教のように洗脳しすぎだ。そのことにより医療の現場は生活に救いを求める多くの人たちで常に溢れかえっている。どんな病院でも年配の人間で溢れかえっている。とても一人一人に丁寧な時間をかけて診察をするような余裕は無い。さらに恐らくだが来てる人たちの大半は丁寧な診察なんか求めていない。求めているのは「あなたは〜です」と言うレッテルと大量の薬。そのことによる安心を求めているんだ。そのためにオレとかは最近特に疑問を感じる。この診察に何の意味があるのか?この薬に何の意味があるのか?あなた方は何をやっているのか?そういった説明がまるで無い。最近特にそういう説明がなくなっている気がする。流れ作業でチェックされ、いつものお薬を出される。ただそれだけ。今時分の体に何が起きているのか?どういう治療方針で何か改善しているのか?全くわからない。そのうちそれに慣らされ疑問すら感じなくなる。
こんな風に考えたら宗教ってむしろ健全なのかもしれないな、って思う。心の安らぎを与える教えを説き、同じ光を見る人たちのコミュニティを提供する。それはとても健全な思想、って気がする。ただ宗教の問題はお金儲けが絡む排他思想に大きな問題がある。心の安らぎを求めるはずなのに、他を認めない、排除するそんな思想が争いの心を生み出す。まぁ闘争は確かに強い心の力を生み、生きる糧として大きいとは思うが行き過ぎると傷つけあうだけでコミュニティを取り仕切っている人間以外はいい思いができない。
ああ、また話がどっぷりそれたね。まぁ健康の話。基本的に人間は年をとれば劣化し、衰える。やがて朽ちる。それは自然の摂理であり、だれも逆らうことはできない。ただ抗うことはできる。それはキット薬ではなく、肝臓などの免疫をつかさどる臓器を正しく有効に働かせ、そのための体力をしっかり蓄える。体内部の停滞を防ぎ、淀みを無くしていく。つまり血を綺麗に保ち、正しくめぐらせること。この二つに集約されていると気づくことができる。
血の巡りを良くするには程よい運動。筋肉を硬くしない。ほぐす。これだけでよいと思う。また流れる血をできるだけ綺麗に保つ。このためには肝臓、腎臓などの臓器を正しくフル活動させる。薬なんか飲んでる場合じゃない。酒もほどほどに。毒だ。きっとこのぐらいのことができていれば人間、それなりに健やかに暮らすことができるって、最近気づく。
まぁでもね。結局なんだけどね。結局。人は死ぬんだよ。必ず。いつか。で、それはきっといつかなんて誰にもわからないんだ。わかってるのは必ず終焉はあるということ。それを忘れちゃダメなんだと思うよ。それを知っていたら、今やらなきゃいけないことって事に気づけると思うんだよ。こんなことしている場合じゃない、って気づけるはずなんだよ。いまを楽しめれば、それが一番だと思うんだよ。誰にもわからない未来を憂い、それだけに怯え、篭っているのはきっとだめなことなんだよ。
ああ、最近思考が多すぎるな。著しく宗教家じみてきてるわ。暇だったからな。ほどほどにしとこ。