青空を目指して2

どこまでも続く日々日常。ゲーム・音楽好きのおっさんの半生。日々日常とちょっとだけ思ったことの日記。

Not too Late

信号で停車することを忌み嫌う人たちが増えたなぁ、って思う。黄色で止まるとかもってのほか、って社会。
信号で止まることの何がいやなのか?って考えたけど結局ただ単に自分の行動が阻害されることが嫌なだけなんだろうと、と思う。
自分の行動が阻害されること、強制力に従う事、それが損、負けって思っているように見えて仕方が無い。
最近切れる高齢者がー、って良く言われるようになっているけど切れる高齢者ってこういうことなんじゃね?って思う。なんでも自分の思いに反する事象は全て悪であり、攻撃対象であるって。両者に垣間見る幼児性にうんざりする。世の中全て自分の思い通りに行くと行くと思っている幼稚さ。なんなんだろう。それが高齢者は外に対する攻撃性になり、若い人はその攻撃性が自分に向き鬱を向かえる。なんなんだろうな。世の中思い通りになる事なんて殆どありゃしないのに。そう思えば世の中生きるのはずっと楽になるのに。
まぁこういうの見て、軽く怒りを感じるのもまだまだなんだろうな。結局こういう人たちがいなくなる世界、って言うありえない事を求めての心理だろうし。変わる訳無いのにね。達観して「ああ、バカやってるなぁ」と見流せるようになるのが一番なんだろうね。自分が渋滞するのも全部自分の選択の結果。それを受け入れるしかないのにね。まだ他人のせいにしようとする自分が居るね。だめだな。
今日も渋滞の道を帰るんだろう。いつになったら無になれるんだろうね。でも無って何だ?死ぬことか?解脱か?感情の波が減ることは鬱ではないのか?俺の感情は死んでいるのか?いやそんなことも無いな。おっさんずラブ見て大笑いしたし、運動できない芸人見て腹抱えて笑ったし。なんだかんだいってプロレスの試合じっと見たし。こうやって社会に怒りをもっているし。彼女さんとジグは愛らしいし。ギターは浸れるし。USJは疲れるけどやっぱり楽しいし。昔のような圧倒的な心の動きは最近減っているけど、俺はまだしんじゃいないよな。まだ何も遅くないよな。