青空を目指して2

どこまでも続く日々日常。ゲーム・音楽好きのおっさんの半生。日々日常とちょっとだけ思ったことの日記。

感情のコントロール

怒りはなかなか厄介な感情だ。とてもパワフルな感情ではあるがそれは必ず何か対象物に対する攻撃性という形に表れてしまうし。怒りをうまくコントロールできると活力にもなるかもしれない。正しい方向に向かわせれば閉塞的状況を打破する大きな力ともなりうる。
しかしながらたいていそれは喧嘩や暴力といった悲しいアウトプットが導き出され、それは大事なものを破壊する。怒りの力は破壊の力なんだろう。
そういう風に考えていくと怒りの感情の本質が見えてくる。怒りとは自分の思い通りにならない物事をぶち壊す感情なんだろう。思い通りにならないものは壊してしまえ、コレが怒りなんだろう。
しかしまぁこんなことが世の中まかり通るはずが無く。壊すということは壊される対象が存在するわけでそのものからしてみたらたまったものではない。必ずぶつかる。抵抗する。抵抗されればより壊したい欲求は高まり怒りは高まる。それを受ける側も壊されるぐらいなら壊してやると怒る。戦争の開始である。
正直平和な世界を望むならこんな感情はコントロールしないといけない。子供じゃないんだし。怒りを抑える、という事はどういうことか。簡単だ。思い通りにならない物事が存在することを受け入れればよい。思い通りにならない物事を受け入れられないから壊したい。だから怒るのだ。だが冷静に頭で考えてみればよい。世の中の多くの事象、物事はたいていは思い通りにはならない事なのだ。どんなに怒っても空は飛べないし、あの子はこっちを向かない。そんな物事だらけなのだ。たいていの人はそういう物事を受け入れることは自然だ。しかしそれが身近にあるものとなると話が変わってくるようだ。この人は自分の話を聞いてくれる。そういう親しい人間、そういう人は思えばきっと変わってくれるという甘えがある。それが怒りとなる。甘えゆえ、怒ればその人の思考を壊せるのではないか、と考える。だから怒る。コレがもっとエスカレートすると、この人は自分がこう思うとおりの存在である、となる。怒ればこの人は自分の思い通りになると思う。常に怒り相手をコントロールし始める。もうおもちゃだ。コントロールするために怒り、その人とのコミュニケーションは全て怒りになり、怒りでのコントロール以外の選択肢が無くなる。相手を壊しきった状態だ。それでも怖し足らないと、存在そのものを壊したくなるのか。精神だけではなく物質自体、全てをコントロールしたくなる。全てを壊そうとする。そして相手の命を壊す。
世の中コントロールなんてできないものなのだ。普通人は成長する中でそういう世の中の仕組みを学び心得る。自分の心の落としどころを学ぶ。でも世の中にはそれがどうしても理解できず、隙を探しては自分のコントロールが及びそうなものを見つけ破壊衝動を満たそうとする。今の世はそんな人がすこし目立つようになったような気もする。いつまでたっても心を閉ざし、世界を受け入れず、自分の思うがままに振舞える、と思っている人たちが。