青空を目指して2

どこまでも続く日々日常。ゲーム・音楽好きのおっさんの半生。日々日常とちょっとだけ思ったことの日記。

ゲームプレイヤー

ゲーム会がある。自分はゲーム好きだし、ゲームを楽しみたい、または勝負に勝ちたい、そんな意識でゲームの内容を理解し、戦略を考え工夫していく。それがとても楽しい。
でも卓を一緒にするプレイヤーの中にはたいしてゲームが好きではない人も混じっている。誰かに連れてこられただけ。本当は別なことをしたいんだけどしょうがなく紛れ込んでいる人。そういう人は説明をすれば最低限のルールは理解してくれるが、決してがんばらない。
自分からすればこういう人が混じっていると、そもそも駆け引きが成立しなくなるしとてもしらける。正直なんで黄身はこの場にいるの?とすら思う。でもまて、このロボットみたいに座ってサイコロを振るだけのプレイヤーがいないと卓が割れてしまうのだ。ゲーム自体が成立しなくなるのだ。ゲームはやりたい。でもプレイしても戦略も駆け引きも成立せず、さっぱり面白くない。むしろやる価値すら感じなくなる。ゲームを殺す。
コレと同じことが仕事でも言える、ってふと気づいた。自分は与えられたミッションをいかに上手くこなすかってことをがんばるのだが、同じ卓にはやっぱりただ義務だから、って仕事をしている人は何ぼでもいるのだ。これはもう、仕事ができるできないの話ではない。そもそも全くスタンスが違うんだ。同じ仕事をするために集まっていても、仕事に対するモチベーションが全く違うのだ。
こういう人を捕まえて、やれ仕事ができない奴だと騒ぎ立てても無駄だな。だってそもそもその人たちはここに義務でいるだけなんだから。ほんとは義務なんか無いのだが、でも社会的ルールとして暗黙の義務としてここに存在しているだけなんだから。
こういう人たちが多くいる現場は実に楽しくない。みんなゲームのサイコロを振ってコマを進めるが、そこに戦略はなく、ただ機械的にやっているだけ。ゲームが成立しない。
腹を立ててそういう人たちを排除すると卓が割れてゲームが終る。そういう人たちが増えてくるといずれゲームオーバーになってゲームが終ってしまう。あれ?結局ゲームはできないのか?
そう考えると、仕事ができない、やらない人たちに、仕事のやり方を教えるのは間違いなんだろうな、って思えてくる。まずこの仕事の楽しさ。このゲームの勝利の仕方。その喜び。そんなものを教えないとそもそもゲームが成立しないんだろうな、って思う。
ほんと、仕事なんてやりたい人たちだけでやればいいのにね。そういう世界なら俺ももっともっと仕事にのめりこむんだろう。今の仕事の多くはゲームが成立していない。