青空を目指して2

どこまでも続く日々日常。ゲーム・音楽好きのおっさんの半生。日々日常とちょっとだけ思ったことの日記。

いろいろ・・・

東洋経済の記事を読んでいたら「緩やかな自殺」というネタが書かれていた。記事は孤独死について書かれた記事で正直胸が痛い内容だった。さらにこの「緩やかな自殺」って言う言葉についてもいろいろ思うこと有り。
自分のブログでは昔からこの言葉が使われている。恐らくこういうところで話題になるより前から。さくっと漁って見たら2011年の時期から書いてあった。39歳か。あの当時はもう何もかも嫌になっていたんだろうな。あの時期から今の時期は想像もつかなかったな。こんなに生きることに前向きになれるとは。どんなにダメだ、希望はない、と思っていても人生何があるか判らないもんなんだな。
自分は仕事では常々こういっている、人間に未来予知は不可能。こんなこともあろうかと!と言ってあるかどうかわからない未来を勝手に予測してごてごてな物を作るのは無駄!って。そんなことで複雑で大げさなものを組むぐらいなら、わかりやすく、関係性が単純で、シンプルなものを丁寧に作るのがよほどいい。そういう思想で動いている。
結局現実世界でも同じなんだな。今の世の中、ネットの記事をみていると、どこかの国が不安定だの、未来の金融が不安定だの、不動産がどうなるだの、社会がどうなるだの。やたらに不安を煽り立てて、だからこういう準備を~、って記事が溢れかえっている。特に仕事とお金関連。でもやっぱり未来予測なんて誰にも出来ないんだ。出来るのは今を丁寧に生きることだけなんだ。
緩やかな自殺をしなくても、人間なんて遅かれ早かれ死ぬものなんだ。だから有るか無いかわからない未来を憂い嘆き殻に閉じこもって何もせず、いつか確実に訪れる死を待つより、明日死ぬかもしれないから今のこの時間を、この世界を精一杯生きておくほうが幸せなんだろう。そう思えるようになった。
どうせ死ぬ。でもこの思いはプラスにもマイナスにも解釈できる。誰にも未来はわからない。だから今ここでできることを精一杯しておけばいいんだろう。それは世間的に真面目に生きることじゃないと思う。自分の世界に対して忠実であることなんじゃないかと思う。自分のやらなきゃいけないことをやる。明日は無い。今日やるんだ。