青空を目指して2

どこまでも続く日々日常。ゲーム・音楽好きのおっさんの半生。日々日常とちょっとだけ思ったことの日記。

感覚

前の仕事の現場の方針と、そこに参戦してたプロパーの方針で現場ではただひたすら目立たず、何も考えず、俺らの言うことだけ忠実にやっておけ、っていう超委縮を叩きこまれてしまったことはなんどか書いたことがあると思う。実に40代のほとんどをそういうので過ごしたおかげか、作業やるにも何をやるにもお伺いを立て確認するやな癖が染みついた。自由な発想、改善そういうものは全て柔らかく拒否され、それでも少しでも気に食わなかったら、表面上はおとなしいのに見えないところから強権ハンマーをふるい叩きに来たりする。個人では棘が立つことも会社という鎧を纏えばやりたい放題なわけだ。雇用の力関係をふんだんに使う強権アタックは俺の心を十分に叩き潰した。勤務時間なんかもそうだ。多すぎず少なすぎずを強要してくる環境。作業内容は問われず、勤怠と時間だけですべてが判断される世界は俺の心を歪ませた。
長い間そういう環境にいれば、ほんとに環境を改善するようなことに興味がなくなる。いかにこの水槽内で静かに叩かれずおとなしく過ごすか、って事しか考えなくなる。しかし自分はそういうのは耐えがたく心をむしばまれた。でもほんと環境とかには興味がなくなったな。PC環境とかどうせ使う場所がない。家でも使わないし会社でも使えないようなPCは無いも同然だ。俺の中でPCというジャンルは完全に死んだ。何も興味がなくなった。
仕事に関してもどうもどこまで動いていいかの判断が曖昧だ。今回だいぶ本来の自分のイケイケキャラの片鱗を出しつつあるんだけど、周りの一緒に作業をしている外注の人たちを見ていると、とてつもなく周りに忖度し、同調圧力の中で控えめに控えめに仕事しているように見えて、どうも引っ張られる。人は人、なのかもしれないし今の自分の振る舞いに関して言えば客は大歓迎、と言ってくれているようなんだけど、いまだにそういうのに自信が持てない。いまだに自分の行動に関して100点の時以外は自問自答の反省会モードである。で、やっぱり自分の中のその基準がどうも高すぎてしんどい。
在宅勤務になってさらにここがきつい。顔を合わせてやっていれば「ああ、この人の今求めているレベルはこの辺にあるな」っていうことを理解、確認しながら進められるために目的設定がかなり相手のレベルに合わせて楽だし、確認もできてよい。しかしこれが在宅だと今まで読めていた情報がさっぱり読めなくなる。そうなると全ての作業が自分の基準判断になりどんどん要求が高くなっていく。そうして僕は勝手に落ち込む。別にこれと言って何をミスっているわけでもないのに、勝手に自分の仕事に不満を持ち勝手に凹んでいくのだ。結局在宅であっても出勤であっても作業の室にあんまり差はないのに、落ち込み度だけ高まっていく。なんだろう。残念な生き物だなぁ。
まぁこれからは在宅勤務することもどんどん減ってゆき、どんどん日常は帰ってくる感じ。日常って何だろう?とは思うけど。自分の体も早く日常に戻ってほしいな。今のままじゃ遊園地巡りもできやしない。
なんかたまにこうやってどうでもいいことを考える。でもこういう考えが今の自分を作っている。今の自分のすべてを作っている。これからも俺は勝手に凹み悩み何かを求めて生きていくんだろうか。