青空を目指して2

どこまでも続く日々日常。ゲーム・音楽好きのおっさんの半生。日々日常とちょっとだけ思ったことの日記。

水曜日

なんか昨日の夜はずーっと仕事していた感じだ…。夢でこの現象直すには…こうして…みたいにずーっとプログラムが頭の中に展開されていた。当然本物のプログラムでもないし、今そんな問題が発生しているわけでもない。だからいつまでたっても問題はよくわかんないし、当然治らない。一晩中そんなのに悩み続ける。なんでだ…。
朝2時ぐらいにトイレに目が覚めその時耳がかゆくて耳栓を外す。もう狂ったように耳の中がかゆい。めっちゃかきむしって落ち着いたら寝る。朝は7時ぐらいに自然起床。なんかすっきりしない。昨日の夜もそんなに暴飲暴食したつもりはないんだけどなんかすっきりしない。当然肩は痛いし、全身微妙に重い。なんかもうどうなってるんだろうね。まぁ良く40代超えてくると体の不調が無いことのほうが珍しい、とかよく聞くけどほんとだよ。なんかはっきり老化なのか不具合なのか感じて元気はつらつ、って感じにならないよ。家に籠っているせいもあるんだろうな。もっと外に出ていきたいな。
今日はだいぶ集中力も戻ってきていた感じだ。ただなんか今のこの仕事に少し疲れというか燃え尽きというか、そういうものを感じだしてはいる感じだ。とりあえず一番大変だった立ち上げ~プロトタイプの完成を超えた。そのあと急にバックアップリソースが増えてきた。本当はこの後にもう一山ぐらいあるはずなんだろうけど、今それが良く見えない。人が増えるとだんだん自分の守備範囲外の話も増えてくる。今までずーっと話の中心で動いていたのが、メインから一歩引いた位置に移動したような印象になっているのかもしれない。かまってちゃんだからそれが嫌、っていうわけでもないんだけど。経験上のそろそろ終焉が見えてくるんだよな。夢中で走って山超えて一段落したら、なんとなくゴールが見え始めたような。ゴールというのは外注からすれば仕事の切れ目を意味することが多いんだよね。新しい現場を探すのはほんとに労力を使う。そういう未来図が見え始めるのがまた鬱々なのだ。それなりに今の仕事でも存在感は発揮できていると思うけど、俺の能力のピーキーさは自分が一番よく理解している。昔僕のことを「スーパーカー」として比喩した人がいるが、ほんとその通り。とてつもない荒っぽい浮世離れしたパワーを発揮するがその扱いは非常にデリケート。そういう人間はやっぱり切られやすいのよ。普段の業務はフェラーリよりプリウスなわけよ。そういうなんともやりきれない空気感を感じつつ仕事を流していく。
夜は結局ジムにはいかず。なんかここのところさぼり癖がるいている。きっと寒いせいだ。昭和の高度成長時代の住宅計画の記録映画などを見てる。なんか今見るとニュータウンも団地も墓標のように見えるが、当時の映像を見ているとそこには未来に対する希望しかない。みんな輝いている。なんか切なくなってくる。今の自分らにこんな輝きはきっとないだろう。未来に対する何の希望もなくただただ今を楽しく生きることに精いっぱいの毎日。いろんなことを知れば知るほど見えてくる今の自分の現状。こういった情報の波に溺れ最近は苦しんでいるのかもしれないな。
見ながらいつの間にか落ちていた。ゆっくり泥のように眠りたい。