青空を目指して2

どこまでも続く日々日常。ゲーム・音楽好きのおっさんの半生。日々日常とちょっとだけ思ったことの日記。

面白い

なんか我がブログに数年ぶりにコメントがついてた。面白い。感謝だ。さらにその内容がとても深い。いろいろ考えさせられるというか、考えるネタとしてよいと思った。
「生まれつきのデブ??????」ってコメントだけど、この言葉は社会の問題をとても色濃く問題定義している。この一見ただの煽りにしか見えないような一言の裏には膨大な情報が隠れている。考えれば考えるほど深いのだ。
おそらくこの言葉は「後天的な要素で成り立っているデブは、本人のなんら努力なく、ただ食事の快楽に溺れた結果として生まれた、醜い、恥ずべき生き物である。被差別者として差別されて当然である。」という心から生まれた発言だと読み取れる。なるほどね。素敵なステレオタイプな発言だと思う。これが現代、これだけ差別はいけないだのなんだの騒がれて、意識が高まっている(ふりをしている)世の中の本当の姿だと俺も思うんです。
この発言は多大な無考察からくる、無知からくる、問題を含んでいます。
・デブは本人の怠けからきているものなのか?…こんなのも典型的なレッテル貼り、思想コントロールの結果だと思われます。好き勝手食べた報いがこのデブなんですよ、と商業界、医療界がせっせと啓蒙を続けた結果なのですよ。本当のところ未成年のデブなんて言うのはたいていの場合単なる運の問題です。衣食住の多く、教育、食育、を親という存在から一方的に押し付けられるしかない、子供にとって彼らの肥満は自ら望んで進んだ道ではないはずだと思います。親が「たまたま」そういう育て方をしちゃった、ってただそれだけだと思います。これは裏を返せば普通の体系で育ったのは「たまたま」親がそういう食育だった、「たまたま」家がそういう環境だった。という本人の選択の余地なく決定しているものなんですよ。小さいころから何の教育もなく、食べたらデブになるから俺は食べずに体を鍛える!なんて本能で感じている人なんてそうそういるもんじゃぁ無いと思います。カッコイイ、カッコワルイなんていうのも全て親を含む環境の賜物です。すべてそういう偶然の連続でしかなく、小さいころからデブだった人はたいていの場合気が付いたらそうだったんです。だから世の中で肥満は「生活習慣病」って言うんですよ。
さらにまぁこれはどうでもいいことですが、自分とかは小学校2年のころまではガリガリでした。小さい子でした。あまりに小さくってしょっちゅう女の子に間違えられて「カワイイ」「カワイイ」と言われたものです。それが小学校2年のころにそのことを勝手に問題視した婆の担任教師が、お前は食べなさすぎるから、という理由で毎日給食の時間になると教卓の横に机を持っていかれ、みんなからさらし者状態でとにかく常に大盛の給食、余ったらそれも食わされる、という特別講習をずーっと強制されていたんですよ。之事実。今の世の中だったらテレビが飛んできそうでしたが、1970年代の日本なんてそんなものなんですよ。おかげで食事は大盛標準、とにかく胃に詰め込みまくるという英才教育を強制的に身につけられ、その後はデブ一直線です。今の糖尿だってあの婆のせいだと思っています。つまり幼少期のデブなんて自分で選んでなるものじゃぁ無いんですよ。こういうたまたまの賜物です。
じゃぁ大人(青年)になってからのデブってどうよ?って思いますがこれまた根が深い。幼少期はずーっと痩せてたけど、食事コントロール権を自分に委ねられた後でのデブは確かに不摂生?って思われるかもしれませんがそうでもないと自分は考えます。デブの多くの背景には精神的な問題が隠れています。大人になってからのデブの主原因はストレス発散の間違った方向性です。心の問題を解消するために、食事、糖質摂取による脳の麻痺、多幸感への逃避があります。食べることにはそういう効果もあるのです。特に強くそういう効果を得たいなら、GI値の高い、糖質フルなもの。スイーツ、炭水化物のドカ食い、ジュースのがぶ飲みが有効です。そしてそれは即肥満の原因です。肥満状態って言うのは脳が糖質中毒状態です。だからもう早々本人の意思では抜け出しがたい世界になっています。さらにタチガ悪いのは今の食品業界。そういった糖質フルな食べ物は安価に作れ、もうけが高く、しかも中毒患者がどんどん買ってくれるドル箱商品なわかです。そしてこういう商品が売れることを別な商売人も喜ぶのです。ダイエット業界、健康業会です。食品業界が作り出す不健康な人たちをせっせと煽り、ヒエラルキーを産み出し、低層を増やし、そこに人たちいろんなグッズ、情報、を売りまくります。さらに言えば日本人は本来デブのエリートではありません。体質的に。こういう大量の糖質を、人種的に受け入れ切れない人種なのです。だから多くの人は自然に糖尿病になります。糖代謝障害です。そして医者は患者を薬漬けにします。本来糖質中毒である、という大前提からみんな目を瞑り、こんなシステムの上で回され続けているのが今の社会の大問題です。
いやでもそれでもそれに気づいて、自制して努力すればデブなんて克服できるものでしょう?自制も努力もない人なんて見下すべき存在なのですよ。って思うかもしれません。まぁこれもわかりやすいですね。でもこれは言い換えればこういうことってわかりますか。勉強できないやつは努力が足らないだけのくず。差別対象。運動ができないやつはトレーニングが足らない怠け者。差別対象。いい大学に入らないのも、引き籠るのも、彼女がいないのも、結婚できないのも、給料が安いのもすべては後天的な要因であり、そいつの自己責任であり、努力不足であるから見下されて当然の物なのである。ということを言っています。うーん。生きにくい世の中ですね。
まだまだ問題は有ります。じゃぁ先天的な問題こそは差別しちゃぁいけない。って多分この発言の裏にはあるんですよね。身体障碍者や、人種のことなどを指しているのかと思います。いや、実にご立派です。でもね身体障碍者にも後天的、自業自得的な人も結構いるはずですよ?ああ、そういうのは除外でしょうかね。きっと努力次第で健常者と同じように生きれるはずなんでしょうし。じゃぁあなた方は本当に、純粋な生まれつきの障碍者と向き合ったことがありますか?じゃぁあなたは韓国人と対面したことはありますか?本当に、そこで差別意識を持たずに人類みな平等って高らかに歌えますか?正直今の自分にはそんなことはできそうもありません。必ず何らかの区別、差別的色眼鏡を通し、その物と接触しないようにしてしまいます。頭で考えていても無理でした。もう自分の奥底に深く深く根付いたいろんなものが、そういうものを自然に排除しようとしてしまいます。ただ社会的同調圧力とかがあるから、ちょっとの道徳心があるから、「チョン、キムチくせぇんだよ!」だの「このカタワが!」のような暴言を浴びせつけるような短絡的行動はとりません。でもそれはそういう制限を植え付けられ、教育されているから何とか自制できているだけです。本当の意味ではこういう思いを多くの人は盛ってしまうのではないかと思っています。
「生まれつきのデブ??????」このたった8文字の言葉にはそういった深く深く、世の中について考える良い問題適宜となりえます。この人の心の中にはこういった後天的商売社会によって構築されただけの価値観を自分の信念として信じ生きているのです。そしてそれは先天的後天的の違いだけで相手を侮辱することを良しとする/しない、なんて判定基準まで持っているんですよね。
いつかわかる時が来ますよ。気が付いたら自分の横に「生まれつきのデブ????」っていう人がいて、鏡を見たら「生まれつきのデブ????」って思う人の顔が映っていることに。その時あなたはその事実をどう受け入れますか?
最後にこれだけの熱量をもって長文を書かせてくれたこのコメントに感謝。