デイをやめたことを先日書いた。いろいろとデイについて思うことを書いたが、さらに思うことを。自分で勉強して自分でやることを選択していかないとそれはきっと後で不満にしかならないということ。何も考えず周りの意見や意識
に流され、一番大事だった差発症浴後の半年間。ここを流され強い公開が残ったわけだ。そしてデイもそうだ自分で決めtすぁけでもなく、なんとなく言われるがままに半年以上を、なんも役に立っていないな、と思いつつ過ごしてしまった。これはきっと後で多いなマイナスとして公開が残るに違いない。今の病気、後遺症はある意味自分の選択の結果でありやりたいことをやってきた結果でのミスなのでそんなに悔いはないのだ。これを他人のせいだと責任転嫁してしまえるとそれは甘えになり、逃げになる、後ろを向いたまま前に進めなくなってしまう。今の結果は死ななかっただけ儲けものだ。自分の選択の結果だし。そういう意味で人に押し付けられた半年をだらだらと過ごしたことはきっと後悔になる。まあ、それを受け入れて前向きに利用できればよかったんだろうが、どうにも自分にはそれを受け入れられなかったのだ。其れはデイの問題というより自分の問題だ。自分の心がすべてを決めるのだ。今のリハビリも結局誰かセラピストにやってもらって回復したわけではなく必要だと思う情報を自分で学び実行してきた。それで今くらい回復してきた。これで回復が遅れてもそれは自分の責任だ。だから腹は立たない。これが誰かに頼りきりだったらきっと、その人の責任にして苛立ったりしているのだろう。左手のリハビリもまだあきらめてはおらず色々見て聞いて学び試行錯誤してやっている。いつか後悔の無いように。