最近はなんか社会考察ネタばかり書いてましたが、別に自分はそんな社会派の何か話目指しているわけではなく趣味人だったはず。しかし最近そういうものへの欲求がすっかり低下しちゃっているところがありそれは良くないと思います。意欲の低下ですね。それでこういう、ネタも
ここのところYouTubeの公式サンライズチャンネルや公式東映チャンネルなどで70~80年代などの自分の子供時代どストライクのアニメを、無料公開してくれていてそれを色々見ています、サンライズでは、富野 由悠季氏の俗に言う「リアルロボット」ものや、その全盛期(80年代)にやっていた「ダンバイン」「イデオン」や同時期のリアルロボットもの「ボトムス「バイファム」「エルガイム」「ザブングル」などを見ているんですこの辺は自分が小学生のガンプラ大ブームのころに放送されていたものなんですよね、ただ僕は島根の片田舎出身者であり、その頃はテレビの民放放送局が1,2局しか無かったので民放1局なんて時代もあったんですよ…都会では信じられない世界ですよね。その為こういったメカアニメはリアルタイムでは見れずにいつも指をくわえているしかなかったんですよね。そういう未消化の亡霊が50歳過ぎた人間の中でうずまいているんです。だから今見ると、たまらないんですよね。で、こういうリアルロボットの世界線が生まれる前にはすーあーロボットと言われるむーぶめんとがあったわけです。じぶんはその地政学的な理由でスーパーロボットものもそんなに多く見れていないわけです。ただしロボットアニメなんてのは当時の雑誌「テレビくん」「TVマガジン」小学館の学習雑誌「小学~年生」とか。「コロコロコミック」「コミックボンボン」などを読んでいると存在時代は知っているのですよ、そしておもちゃ屋さんに行くと、そういうロボットたちで溢れているんですよね。でもそんなおもちゃは親がたまに買ってくれることでしか入手す術はなく。いつもおもちゃ屋さんで指をくわえて眺めているんですよね。そういう人間にとっては、そういう欠けたピースを埋めることは幸せなんです。ここまでは、前置…。
それで、最近リアルロボットを見てスーパーロボットを見て、思ったこと。リアルロボット系って、自分はそのまま兵器としてリアルな可能性のあるロボットやそれを使った世界やお話を描いたものだと思っていてスーパーロボットものというのはなんか巨大でひろーチックで合体とか変形して必殺技を使って宇宙から侵略に来る悪のロボと戦うものだと思っていたのですが、いま改めて見てみると確かにそういう要素はあるんだけどちょっと違うのだなあと思えてきた、リアルロボットものっていうのはあくまでしっかりとしたストーリーや世界観を構築して、その中での人間ドラマを作りこみ、そのお話の中の舞台装置として使われるアイテムとしてロボットが使われているものをさしているんだな、と。それに対してスーパーロボットものはお話ありきではなく、あくまで玩具ありきで、そのおもちゃを見せるためだけの子供向けの宣伝でしかないんですよね、そのためスパーロボットはおもちゃを買う対象の子供たちへわかりやすくカッコいいものである必要があったわけです。そのために舞台設定やキャラ設定そういうものにふくぁつな設定は必要なくっていうかむしろ邪魔で、すべてが記号化されているんですよね。出てくるキャラなどはすべて見た目、声などでこういう人は、こういう役割と決まっていて子供たちが迷うことなく理解できないといけないんですよね、宇宙人が日本の町を侵略してきて、こんなこともあろうかと巨大ロボットが開発されていてなぜか熱血漢の主人公がそのロボットを動かせてバタバタ倒して、必殺技を決めた後に残心するのも必要なわけで、そこにストーリー的な理由は無いのです、理由があるとするとおもちゃを売るためですね。こういうすトーリーや設定に基づく理由のないロボットが出てくる物がスーパーロボットものだったんですね。OP曲とかも見事に似たような熱血でキャッチーな曲です子れも子供が口ずさみたくなり覚えやすいものにする必要があったわけですよね。こういう大人なのお金の理由MAXwoエネルギーにして動いているのがスーパーロボットなわけだったんですね。それに対して、製作者のエゴをエネルギーにして動くのがリアルロボットなわけです。そりゃ富野 由悠季はおもちゃメーカーに嫌われ、「ガンダム」も「イデオン」も打ち切られるんですね…。ただ長期的視点で見れば、この作家性はおもちゃ会社にとって大人という新たな大きな資産を持つターゲット層の開拓に成功したわけです。ただしスパーロボットを子供にしっかり心に植え付け、リアルロボットターゲット層におもちゃは大人でも遊んでいいものという開拓ができたおかげで、大人になった子供たちもターゲットにするというするということもでき、結果的にすべてのロボットが売れておもちゃ会社にんまりって現代、不思議なものです。
使われている
介護保険について
なんかここまでいろいろ書いて自分がひたすら介護保険をディスっているように思えてもやっていた。しかし別に自分にとって介護保険が不要なものなわけは無いのですよね。実際に今でもようかいごなわけですからまでいろいろ書いて自分がひたすら介護保険をディスっているように思えてもやっていた。しかし別に自分にとって介護保険が不要なものなわけは無いのですよね。実際に今でもようかいごなわけですから
。以下のようなサービスは享受しているのですよ。
- 訪問リハ→訪問リハは通所リハよりしっかりとした個人リハを受けられます。まさに回復期病院の延長になります。
- 福祉用具貸与→車いすや杖などを低額で借りることが可能です。なんか細かい規定が多いですが
- デイサービスなどの利用
けっきょくかなり助かっているわけです。
ぐちぐちいうのは、デイケアなどが、片麻痺のリハビリになっていないってところですね、上に書きましたが訪問リハでは専門的なリハを受けられます。結局維持期のリハビリはこういったサービスを自分でうまく使って自主リハを行うしかないのですよ。国からリハビリを提供されるわけじゃあないのですよ。何度も書いてるように介護保険が目指しているものと僕の様に若くて片麻痺になっちゃった人間の目指す着地点が違うんですね。僕とかは、自立して社会復帰するのが最終目標なわけですが、高齢者は病院のベッドじゃないところを目指しているわけです。高齢者は高齢者で、社会に戻るべき場所がないわけなんですよね。結局特養(老人ホーム)などしか戻る世界が無いんですね。そう思うとある程度リハビリが終われば社会復帰できるのは幸せです。今の世の中一応リモートワークなんて働き方も出てきてますし(しかしアフターコロナですくなくなってきていますが…)社会は高齢者と同じように障碍者への門戸を広げているわけではないのですよ。
脳卒中後遺症には身体障碍だけではなく高次脳機能障害や、言語障害などもありますしね…(自分は幸い言語障害はないですが)
片麻痺のリハビリって事の社会の現状について
昨日デイケアの通所リハで現在の福祉界隈においての片麻痺という障碍者の扱いについての話をする機会があり脳内に種がまかれてしまったので刈り取っておく。今の自分のような立ち位置の人間は障碍者認定を受けて障碍者手帳を給付されていて要介護者認定も受けているこの立場というものはこの状態は高齢者においても同じような状態の人が多い、障碍者認定両方において受けられるサービスが違うからですね。自分とかの場合は障碍者であり日常生活がままならないことが多いのでそれを改善したくて要介護認定を受けているのです。だが、高齢者の場合は、介護保険では受けられないサービスが障碍者認定されることで受けらるようになり(主に医療関連)そのために取得する、というケースが多いようです。まあ自分も障碍者認定だけでは受けられないサービスを受けるために要介護認定を受けていると言えばそうなのですがこの違い、歪みが社会においていろんな考え違いや歪みを生み出しているように思えます。自分らのような脳疾患発生者は、基本的に脳の状態は現在の通常医学においては完全回復はできないはずです。しかし、厚生労働省の取り決めで急性期~回復期の入院期間は大体半年前後と取り決められています。この辺はAIさんに聞いていますが、高齢者の入院や病院側への診療報酬制度などのお金の話で、健康保険制度から介護保険制度に移行させる、そして入院期間の長期化による病床の圧迫の解消といった理由のようですこれはそのまま、社会的入院の話ですね。そして回復期病院では、そういう問題の解消のために早く生活の自立を促すために、日常生活動作(ADL)などの指針を定めこれを基準に手厚いリハビリを提供しているんですね。しかし自分はこのADLは麻痺持ちの人間向けにデザインされているとは思っていません。基本的に体が動くが一時的に機能低下、認知機能的に困難になっている人向け、つまり高齢者向けにデザインされていると思っています、つまり言ってしまえば高齢者の社会的入院をきゃめさせるためのメジャーとして設計されているんですよね。そしてこのメジャーを長期的入院になりがちの疾患持ちにもあてがって使っているわけです。これにより、脳疾患患者も、骨折も難病も全て病院において同一に扱われているわけです。だから脳疾患患者に、入院直後から、ズボンを脱ぎ履きしてくださいとか、脚部複雑骨折患者にも同様なことを要求したり、歩け、だの言いだすわけですよ。いや、そもそも、自立できないし、手も使えないのにどうしろっていうねん!?って思うわけです。そもそもこういうものは、四肢が弱っていても動く人を対象にしているんですよね。で、さらにそういう人たちを病院から追い出した以上、生活の自立ができませんよ?では済まないわけだからその後は介護保険の世界へ丸投げしているんですね。そしてその語の自立のための必要なリハビリプランを立てるのがケアマネージャと言われる人たちなのです。だからこの人たちの使命はADLを上げるために必要な介護設備をマッチングさせることなのですね。つまり高齢者の社会的入院の解消という目的のために作られたメジャーを病院外で使う人たちなわけです。だから基本的には高齢者を相手にする人たちなわけで障碍者のことについての知識はそれほど持っていないのですよ。この辺で自分なんかは退院後に「???」となったわけです。病院から社会に戻ってきて今後も機能回復のためのリハビリを受けられるものなんだと思っていたらそんなものはどこにもなく、あとは自分で勝手にやりな、なんですよね。マッチングされたデイケアに行ってみてもそこは高齢者だらけの高齢者学校なわけです。そして自分は病院でのリハビリの続きを受けれて、きっと歩けるようになるはずだ、と思っていたんですが、周りの高齢者は基本的に皆自立歩行しているんですよね、誰一人自立歩行訓練なんかしていない。ここで本当に当時の僕は意味がわからないわけですよ。そしてそういう後期高齢者に交じって茶をすすってお話をしてるとか、世代が違いすぎるので当然会話など成立しません。高齢者側も、息子ぐらいの年齢の人間が混じっていてどう扱っていいのかわからないわけです。しかし高齢者はそこは年の功、ちゃんと空気を読んだりはしてくれるわけですけどねただ、さすがに後期高齢者だ、彼らにはそもそも老衰という問題があるわけです。そしてそのせいで仲良くなってもすぐに病院に行っちゃうんですよね…。
ADLの向上を目的に作られた。デイサービスやデイケア。そこに自分みたいな若くして障碍者になってしまった人間の居場所は無いのです。いろんな理屈を知って脳が落ち着いた自分にとって今行く意味がないとまではさすがに思いません。いくつかの理由を見出せます。
- 家庭での介助者の負担軽減、うちでは僕をずっと見守って何もできなくなる妻への自由時間や外出時間となります。
- 動けないことでの社会への接触が減ることへの対策、これは完全に高齢者と同じなのでデイの人たちの対応は慣れたものですね。
- 家にいると動くことすら面倒になりがちなので、筋肉廃用対策、リハビリにはなりませんが最低限の機能維持にはなります。
つまり介護システムを機能のリハビリ、と捉えちゃうと、もう意味がわかんなくなります。機能のリハビリは回復期病院で終わりなのです。
そのために、回復期病院の選定、セラピストの選定はしっかり行うべきでしょう、特にセラピストの選定は大事です。ただ回復期病院ではまだ脳がパヤパヤしている可能性も高いし、問題は多いと思いますが、病院の再選定、チェンジは難しいですがセラピストのチェンジは簡単です。かつ効果は絶大です。このセラピストガチャに対する対策はどうにかしてほしかったですね、重症患者に新人をマッチングしないとかセラピストの採点とかできることはあるでしょう患者ばかり採点せずに…。
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片麻痺リハビリ考察続き
前回の考察の後まだ頭が落ち着かないので絞り出す。前回の筋トレと再学習の話だけどあれはあくまで歩きに特化した内容だったなあ、と思う。それに対してもやっていたのは自分の左手が動かないのはどういうことだ?と。これは完全に麻痺の範疇の話なのかなと思う、そもそも筋トレも学習も微妙なのかなと思う、そもそも筋トレしようにも随意的には動かせず他動電子と運動できないし、随意的に動かないので再学習も難しい。まずは以前書いた脳とのI/Oの復活をしないといけないのだろう。其れには刺激を入れるとか、反復動作、とかっていうものが必要になってくるのだろう。これは何となく筋トレとも再学習とも違う気がする。イメージだが。自分は発症前にギターを弾いたりしていたのだが、ギターは初心者がchordを弾く際にFコードと言われるコードを練習するときに多くの人が躓くとよく言われる、これはギターで何度の高い左手の人差し指で全部の弦(6本)を同時に押さえる技術だ(セーハという)、セーハして残った中指薬指小指でほかの弦を押さえる。これは健常者にとって全て動きコントロールできるはずの指なのにみんな制御できなくて困るのだ。これは、今の自分の左手の状況と違うのだろうか?Fコードを練習するときは無理やり指版の上で右手を使い指の形を作り抑え込んだり日常的に、指板的なものを持ってコードの形を作ったまま押さえて置いたり、セーハに必要な指の力を持たせるためにハンドグリップをにぎにぎしたりそういうことの積み重ねをしているうちに自然にFが押さえることができるようになるのだ。最初は全く動かないのにね。それは脳とのIOが最適化されていないんだろうからと思う。できる人にとっては、なんでできないの?だが練習を経たら、左指だけしっかり動かしたり、指のストレッチ(善美の指を横に大きく広げる動き)も可能となる。今の自分に求められることはこういうことなんじゃないだろうか、ギターを弾く時の練習前の左手はギターを弾くってことについての随意的動作は全くできないのだ。これはもう再学習ではなく、ゼロからの練習、学習なのだ。きっと今の左手は、もともとあんなに動いていたから動くはずではないのだろう。いろんなものが破壊されゼロなのだ。このための必要な学習方法、が良くわからないわけだが楽器などを考えれな無理やりにでも反復、長時間で動かしてIOを鍛えることなんじゃないだろうか。
片麻痺リハビリ考察
またまた片麻痺当事者素人の片麻痺のリハビリについての考察いつものように科学的エビデンスなんてないし自分は片麻痺当事者でしかなく研究家でもないしトレーナーでもない、そんな人間の戯言だ。。また筋トレについて考えたことの記録。片麻痺のリハビリにおいて筋トレは十分条件ではないけど必要条件ではあるのではないかな、と思う。筋トレさえすれば後遺症が解消して完全復帰することはないとは思うけど、意味がないものではないと思う。あとやり方次第では毒にもくするにもなると思う。この辺が筋トレ必要論や不要論として扱われるところなんだろう。不要論としては、何も考えずに痙縮を強めてしまう屈筋ばかりを鍛えてしまうと、あまりよくないんだろうな、と思う、こうすると、筋肉の連動コントロールの難しい片麻痺者にとって、伸筋とのバランスが取れなくなって特定の行動(手を広げる肘を伸ばすなど)の難易度が上がってしまいそうだ。ただ、不要かと言われると、?と自分は考える、これは逆に屈筋を使わないと成り立たない行動はできないと考えられるし、そもそも自立するためには足の筋肉や体幹の筋肉がある程度しっかりしていないと成立しないだろう自立ができないと歩けないと思う。そもそも歩くという行動は自立と、そこから、バランスを崩して((足を動かす)、それを再び立て直すということの繰り返しだろうから。全身運動だ。だから健常の時も自分の筋肉許容量を超えるほど歩けば足の筋肉はヘロヘロになってそこから歩くのはきつくなるし、筋肉量が足らないと走ることは困難だ。だから中年とかになると自然に筋肉量が減っているので走れなくなる。老人はフレイル状態になるから歩行困難になる。つまり最低限歩くためには自分の体を支えられる筋肉が必要に決まっている。ただここで片麻痺者にとって問題をややこしくしているのは、じゃあ、筋肉を増やせば歩くって行動が可能になるのか、って言えばNoだろう。それは今の十分に動かない動かない四肢バランス制御機能がおかしくなっているしくなっている小脳は筋トレだけでは決して歩くことはできないのだ。まず四肢のコントロールのやり方、使い方、今の体でのバランスのとり方、そういった技術を一から再学習させないといけないだろう、これは健常者でも同じで、健常者にヒップホップのダンスを踊れ、と言っても見様見真似でできる人は少ないだろう。ちゃんとステップを教えてそのステップでの重心移動体さばき、そんなものをすべて学習しないとぶっこけてしまう。で特殊なステップはそれを行うのに最低限必要な筋力がいる。筋肉全然なく歩くのも困難な老人にランニングマンステップを教えてもそうそうできるようにはならないだろう。片麻痺者にとって歩くのは常にランニングマンとムーンウォークをしてるようなものだ、しかし、片麻痺者の多くにとって質が悪いのは、発症前に同じようなボディで歩けていた、という記憶があることである。その記憶が強固なほど(=高齢なほど)こうすれば歩けていた、と思い込んでしまう。または自然にやってのけていたはず、健常者は普通歩く時に重心移動をいちいち意識したり右足をこう出して、次に左足をこう出す、なんてことを考えたりしない、普通そういうのは幼児の頃に学習して身につけているものでそれ以降は自然にできるものなのだ。それを体のサイズや筋肉量が変わっていく(成長する)たびに自然に再学習改善していくものなのだきっと。其れは体の成長スピードに合わせてゆっくりとゆっくりと。幼児から大人になるまでの数十年をかけて、野山を走り回り公園の器具でバランスをとる遊具で遊び、こけたりして学校の体育の時間にいろんな運動を教え込まれ、そういうものを経て今の体と四肢コントロールを作ってきたのだ。それを脳卒中という病気は一撃一瞬で破壊してしまったのだ、つまり数十年かけて築いてきたものを壊してしまったのだ、そりゃあ、リハビリには気が遠くなるほど長い時間がかかると容易に考えられる。今片麻痺当事者にとって必要なのはゼロからの脳の再学習と、最低限必要なフィジカルの両方なのだろう、再学習も大変だろうし(簡単にダンスは踊れない)体を作ることの大変さは、その辺にいる、運動部の人たちを見ればわかるだろう。筋肉は一朝一夕ではつかないのだ、みんな汗水たらして、鍛えているだろう。病前はできていたから、という考えが一番厄介に感じる。と自分に言い聞かせてみる。
別に宣伝とかではないのだが
俺はこの人の動画で開設されている、麻痺側ゼロ歳児説にすごく影響を受けているすごく納得いくそれはこの上の論理展開を読んでもらえればわかるだろう。
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