青空を目指して2

どこまでも続く日々日常。ゲーム・音楽好きのおっさんの半生。日々日常とちょっとだけ思ったことの日記。

世界だ

一緒に飲んだ会社の人。典型的なコミュ障気味のディープな技術者。話すこと話すこと全部ディープ。新しい技術の話やらお宅系ネタとか一人で突っ走って話し続ける。この人とは何度か飲みの席で胃一緒しているがいつもこんな感じだな。よく喋る。ほんと人とのつながりに飢えているんだろうな、と思わせる。その癖興味対象はやはりマニア系。全てが自分の意思で自分の思うがままにコントロールできるものばかりを求めていっている。世界が自分で完結している。広く他者の世界と交わっていくのではなく、ただただ深く潜っていっている。
こういうのを見たら思うんだな。やはりオタク、コミュ障系の人って言うのは自分の中に、自分以外の自分でコントロールできない不確定な要素を入れることが出来ないんだなって。怖いのか。不安なのか。現実の寂しさを紛らわせるためにただただ深く潜っていく。
ほんとにこういう人たちにはペットを飼うのがいいんでは。と思っている。オタク系の人にはペットは向いていると思う。買うことで理解できないのは嫌だから徹底的にそのものについて調べ勉強する。理解しコントロールしようとする。でもそういう勤勉さを持てば持つほど、気づかされる。ペットたちは決してコントロールなんて出来ない。自分とはまったく違う世界を持つもう一つの生き物なんだってことに。そして気づいた時には執着、愛が産まれ、それは自分の中に自分以外の世界を受け入れるだけの心の余裕を作り出していくのだ。決して自分の自由にならない世界が存在し、それを受け入れるって言う心の持ち方が産まれていくのだ。でもこの世界は自分が積極的に意識して関与してやらないとたやすく滅びてしまう。そこに慈悲、慈愛といった心が生まれていくのだろう。
しかしながら書いていてすぐに気づく。決して誰もが誰も、こういった余裕はないんだな、って。自分と言う世界が強すぎたり、なんでも自分の思い通りにならないと気に食わない、と考えるような人たちも世の中には溢れかえっている。だからこういうペットや身近な人に対して攻撃、と言う形で自分の思いどおりの世界を作ろうとするんだろうな。受け入れるだけの心の余裕はどこにもなく、自分の100%コントロールできるおもちゃが欲しいだけなんだろうな。ああ、そう考えるとそういう人たちもコミュ障のオタクとあんまり変わらないのか。違いがあるとすると、興味対象が人であるか物であるかぐらいかもな。
酔っ払った頭でそんなことを思いぐるぐるまわる。回る回る。家に帰ったら彼女さんはもう爆睡。ジグがはしゃいで足の周りをぐるぐる回る。回る回る。いつの間にか俺の世界はこんなにもいろんなものが溢れている。アルコールで朦朧とした頭で布団にもぐりこむ。浅い眠りがなんか変な夢を見せ落ち着かない。世の中自分の思い通りには行かない。でもそれが世界だ。