青空を目指して2

どこまでも続く日々日常。ゲーム・音楽好きのおっさんの半生。日々日常とちょっとだけ思ったことの日記。

災害

ここのところ災害のニュース見ていて感じる事。
・テレビなどでピックアップされる人物、って言うか災害時のテレビでのメインキャストは高齢者ばかりだな。被災者もインタビュー受けるのも高齢者ばかりな印象。なんでだろうな?そもそも高齢者がなんでこうも被災するんだろうな。
彼らが一戸建てに住むというライフスタイルをやっていた弊害か?最近の災害を見ていると戸建てってろくなもんじゃねぇ、としか思えないんだけどな。災害に圧倒的に脆弱なつくり。収入の低い人たちにも家を与えようとした結果としか思えない地理的に問題個所への住宅展開。ローンが終わったころには資産にならず負債になった上に災害でボロボロになっても何の保証もなくただただ負債が高まっていくだけ。持ち家ってプラスよりマイナスばかりで何がいいのかさっぱりわからない…。
そう考えると災害報道の主役が彼らマイホーム世代の成れの果て世代中心になるのは自然なことだと思えてくる。一生かけて危険な土地でボロボロの家にしがみついている彼らが見るも無残に朽ち果てていく様。マスコミはそういうのを面白がって移しているんだろうな。ある意味今の若年層の高齢者層に対するはけ口になっているのかな、とゲスパー。
憧れの象徴だったはずのマイホームが見るも無残に朽ち果てていくその様は、だれも大きい声では言はないがきっと愉快なのだよ。嫉みや嫉妬からくる爽快感なんだろうよ。マイホーム至上主義を押し付けられ続け、それでもそんなものを自分らでは手に入れられず賃貸マンションの2階以上でで暮らしてのうのうと水害をテレビで眺めている世代の怨の感情のたまものなのかも…。
毎日毎日やっている千葉の惨状なんかも、政治頑張れ!って言うメッセージより「無残!マイホーム買った人たちの没落!」っていうニュアンスばかり感じてしまう。タワマンがうまく機能していない系の記事が人気出るのもこの辺の妬みの感情なんだろうね。こうして中低所得者のうっぷん晴らしに彼らは使われているのかもね。

さらに思う被災してお亡くなりになる人たち。やはり高齢者が多い。意外なほどこういう時に若いDQNが死んだというニュースは流れない。水害の時に相変わらず多いのは高齢者の物見の際の事故。お前らほんと学習能力ないよな…。いままでローリスク、無難な人生しか送ってきてないのをいつの間にか成功体験と勘違いし「自分は大丈夫」という根拠ゼロの自信。弾かれたレールを歩いてきただけでなんとなく成功できているという幻想から築かれた砂上の楼閣に守られた無駄に高いプライドが他人の言葉を受け付けない。それはこれだけしつこいほど発せられる警告を聞かず、無視させる。よそはよそ。そんな意識で崖の裏に立つボロボロの一軒家で何の対策もなく生きる。無敵のヒーローにでもなったかのように冠水して何も見えない道を、軽い軽自動車で走って流される。田圃を見に行く。水路を見に行く。屋根に上る。
どんなに警報を早く打とうが避難する必要なないと勝手に判断する人たち。どんな防災システムを金かけて頑張って作っても一番主役になる人たちには何も届かない子の現状。そして垂れ流される後始末の労力、金。
なんか賢くない。ほんと賢くない。想像力が相変わらず欠如している。そういうのが浮き彫りになる。

あとマスコミはあんまり言わないんだろうけどやっぱり都心は守られている感。芳醇な予算で作られた災害対策は一級であり、さらに今回よく見てるとなんとなく気づく、災害へのガード力の高さ。水害を周り近隣に散らして生き残るシステム。凄いよね…。そのぶん周りのどうでもいい市町村は確実に水没。これも事実。

全然関係ないけど今回の災害で千葉の例の地方あたりの報道はあんまり見かけないね。たぶんろくでもないことになっていそうに思うんだけど。こういうところでマスコミの意思みたいなのを感じるのも気持ち悪い。テレビはやはりショーでたとえ報道であっても作られたシナリオを見せられているという違和感をやはり強く感じる。繰り返し流される千曲川とその救出劇。ほんとはもっと悲惨な場所があるんではなかろうか??

なんか普段見ないテレビをじーっと長い間見ていると色々と違和感まみれであることに気づくよねぇ…。