青空を目指して2

どこまでも続く日々日常。ゲーム・音楽好きのおっさんの半生。日々日常とちょっとだけ思ったことの日記。

ポニョで昔の仕事

自分ちょっと前、ちょっと別の仕事をしていた時期がありました。ふとその頃の仕事の話を思い出しました。
ポニョの舞台になった(と思われる)街が揺れている、と言うような内容の記事。
その街は広島県福島市にある、鞆の浦(とものうら)という昔からの港町の佇まいを今もなお残す街。
あ、懐かしい地名だ…。そういえば、僕が設計したあれがある街だ…と、記憶がよみがえってきました。若くて躍起になっていた頃のある意味痛く、ある意味素敵な思い出がある街です。

ちょうど4年前の今時期、自分はそこでとある機器の開発をやったのです。開発はたしか、発注元の思いと外側を作る業者の遅れ、それの板挟みに遭う自分とで難航。当時の今頃は工場の中の劣悪な環境下で朝まで仕事をしていました。それでも僕は必死に仕事をして、なんとかこの物を仕上げようとがんばりました。
公開の三日前ぐらいに納入。現地調整をしたんですが、その日の夜まで仕事は難航。どうしても一点解明できていない問題が残ったままの納入でした。
いざ現地でセッティングしてみましたが、やはりその問題は発生したのでありました。基盤の問題や配線の問題などいろんな問題が複雑に絡まり、使っている基盤の製造会社の担当まで巻き込み、全ての持てる知恵を駆使し現地でその最後の問題をクリアする戦いでした。本当に戦いでした。基盤が動かなくなるんです。その現象が起きたら、基盤を再購入。そのためには東京のその基盤の発売元から調達するしか手が無く、時間がないために新幹線便などを駆使し予算のぎりぎりまで(ほんとは赤字が出てた気がする)基盤を購入し、悪戦苦闘。しかしなんとか問題解決しいよいよ明後日からの公開になんとか間に合うと言うことになりました。
公開の前日まで調整は続き、その前日に関係者にあらかじめ見せる訳なのですが、その前日泊まったホテルで何が悪かったのか下痢ストライク。今思えば疲労もあったのでしょう。もう立ってるのもしんどい状態で、現場でお偉いさんがたがその機械を眺めるのを祈るような気持ちで眺めた物でした。
お披露目会も無事終了しましたが、僕のお腹は壊滅状態。そのまま当時の営業の人を乗せて、セリカをすっ飛ばして京都まで帰りました。
その後三日以上下痢は続き、さらに疲労のために一週間家で休み続けたと記憶しております。
なんとういうか、今思えばすごいハードな仕事で、それ故いろんな物を手に入れた気がします。

そんなことを思い出しながら、あの機械、今でも動いてるのかなぁ…?という思いが出てきました。
ネットで検索をかけてみましたが、あんまりヒットしません。自分の中では最後の大格闘だけ明確な記憶として残っているために、どうしてもあの機械の耐久性に疑問が残っている故、もう動かなくなっているのでは…?という思いの方が強いのです。その仕事場を去ったためにちゃんと先々メンテしてやれなかった事もちょっと悔やむ思いがあります。
いろいろキーワードを買え検索してるうちにとある人のBLOGの2006年五月の記事に、その機械をおもしろかった、と書いてある記事を見つけました。写真撮影禁止のはずなのにこっそり写真まで添えて(笑)。
そこにはちゃんと昔作ったとおりに動作していると思える、その機械が移っていました。ちょっとほっとしました。なんか少し自分の中の未昇華の思いが、少し溶けた気がしました。
ただし!その記事を読んでいると、どうも音が出ているのかが怪しいんですよw
その最後まで悪戦苦闘した場所って、音を出すための基盤なんですよねw
少なくても2年前までは動いていたようです。そのうち機会を見つけて再訪してみたい気がします。その子に合うために。