青空を目指して2

どこまでも続く日々日常。ゲーム・音楽好きのおっさんの半生。日々日常とちょっとだけ思ったことの日記。

僕が思っていた大人に成れない僕

自分も四十路を超え時々思うようになってきた。自分が見て育ってきた大人像、親世代の大人のイメージ、そういったものを全く実現できていないなと。自分が思う大人のおっさんのイメージって一般的に言うよき父親のイメージ。父性が有り、ガキっぽいものに興味が無く、仕事に頑張り、大人の趣味をたしなむみたいな。昔はエスカレータ式に学校を出て会社に入って段階を踏んで組織の中で責任を与えられ、部下を与えられ、その中で大人な振る舞いみたいな責任感を養い、結婚し専業主婦の嫁を引っ張り、子供を育てる中で父性を磨く。そうしてできる良き大人像。社会的責任感を認識し、父性が有り余裕がある大人と言うイメージが、今の自分、と言うか自分たちにはまるでない気がするんですよ。

責任感や余裕は社会の中で育つものだと思うが、自分らのような外注技術者にはなかなか難しいものがある気がする。
1990年代から始まった就職氷河期〜大不況と言う時代の流れの中で、全く自分らより下の人間が入ってこないという現象が長く続くこととなる。いつまでたっても自分たちは一番下っ端なのだ。実際現場ではほんと自分らより下の世代に空白の時代が存在している。精神的なものはもとより、リアルに下がいない状況だった。

責任ある仕事と言うものも、外注と言う立場からあまり与えられることはない。そういう役割は一次受けの会社の人間が独占する。ただ、そういう会社のメンツでさえ結局エンドユーザーの管理の元にあるわけで、一部の人間以外は責任感ある役職など求めることすら難しい状況が続くことになる。さらにせっかく僕ら付近の人間に役職が回ってきても何もせず無能なバブル層が役職人間に多大な負荷をかけてくる。自分たちの隠れ蓑に中間管理職をこき使う。管理職になれる人間が少ない(氷河期問題)ためさらに中間管理職は激務となっている。そういう人たちは責任感が育つどころか上の顔色をうかがい下に無茶を言うだけの心を持たない奴隷になっていく。こんなのでは責任感もくそもない。

そんなこんなで社会的な責任感と言うものを育てるチャンスが無く、ある意味緩いまま生きてきた自分。それでも30代ぐらいになったら独立してみたり、いろんな業界を渡り歩いて見たり、中間管理職的仕事もやってみたり、といろんな経験を重ねた。その結果責任感が身についたか?と言えばYesとは言えない自分。したたかさは身についたし、我慢強くもなったし、いろんな社会の仕組みもわかった。でもね、結局責任感なんてないのよ。だって誰かに責任を果たす義務が全くないんだもの。結局自分だけを養えばいい。自分のやったことは自分の責任として返ってくるだけで結局それで誰にも迷惑はかけない。楽なものだ。責任感なんて必要ないよ。社会へ属していると言う意識が低い。社会に対して外注されている気分だ。

結婚もそうだね。結局いろんなものが便利になりすぎて、なんでも一人でできてしまって完結している。女性に求めるものが、惚れた女と一緒にいたいか子供が欲しい以外に価値観としてなくなってきている。そんな考えだから婚活してもうまくなんていかない。そもそも女性側もそんな考えがちらほらうかがえる。みんな基本的にひとりで満たされているんだが、社会的に結婚しないといけないのかなぁ〜、ぐらいの意識だから必死感ゼロ。お腹いっぱいでおいしいもの探しても駄目だ。

長大な自己弁護になってしまっているような気もするが、結局自分は社会のことをいろいろ知っていて、それなりに生計を立てることができた、体と心の老朽化が始まってしまった子供だと言うことだ。自分の精神性は結局中学生ぐらいからまるで進化なんかしちゃいない。結局自分はこのまま年を取り肉体的限界を迎えるまで、やっぱりゲームと音楽と酒にうつつを抜かし、少ない仲間と交流しつつ朽ち果てていくんだろうな、と最近思う。精神性がガキな分、いろんな事へのチャレンジ心と反骨心だけは持ち続けたいな。