青空を目指して2

どこまでも続く日々日常。ゲーム・音楽好きのおっさんの半生。日々日常とちょっとだけ思ったことの日記。

ウツについて思うこと

自分も一度は欝で病院にまでいった経験がある。薬も飲んでいた時期がある。今は完全に立ち直っているが。そこで欝に対する抜け出し方をなんとなく考えるようになった。
欝と言う病気は確かに存在する。脳が確かにおかしくなる。正常な状態な人にとっては信じられないだろうが、そういうときの脳はどんなにがんばって思考しようとしてもマイナス方向の答えしか出さなくなるのだ。おそらく機械的に。脳というブラックボックスの特定のフラグが立ってしまうとどんなインプットに対しても、マイナス方向の答えしかアウトプットしてくれなくなる。これが欝と言う状況であり、それは脳という機械のシステム的な不具合(病気)なのだ。甘えているから、逃げているからそういう結果を出すわけではない。どうあがいてもそういう出力しか出来なくなってしまうから病気なのだ。
システム屋の自分はどんなことでも世の中の出来事をシステマティックに解析してしまう癖がある。で、欝と言うのは脳というシステムに発生した不具合と見ると、どこかに必ず原因があるということになる。ちなみに、欝を薬で押さえ込むのは対処療法であり、システムで言うと脳自身はいったんマイナス方向なアウトプットを作り出すが、新たに薬という名のミニマムなシステム(フィルター)をアウトプットの上にかぶせそのアウトプットを出力をとめてしまったり、内容を改竄し都合のいいデータに書き換えているだけでのものだ。つまり脳システム自体にはなんら変化はなく今までどおりマイナスアウトプットをし続けているわけである。しかもこの脳システムは非常に優秀なシステムであるために、アウトプット情報が正しく出力されているかを常に監視しており、それが出来ていないと認識するとフィルターを無効化するシステムを発動したり、フィルターを回避する方法を自動構築するのだ。そうすると今までのフィルターはまったく使用できなくなってしまう(抗体が出来る)。
こう考えると今の精神科がやっている、欝の薬での療法は単に自殺というアウトプットをいかに遅延させるかという一点のみに注力したごまかしの不具合対処法だということが見えてくる。薬での対処は一時的に不具合を押さえ込むが結局なんら解決にはなっていない。
不具合というのは必ず原因があるものなのだ。その根本的原因を見極め、それ自体を排除しないかぎり絶対に欝は直らない。多分そう言い切っていいと思う。医者の言う「欝は薬で治ります」「休めば直ります」ってのは詭弁だ。まず、薬では絶対治らないし、休んで直るのは一時的に根本的不具合トリガーから離れることにより、不具合が出てこない状況が生まれているだけで、結局トリガーがある場所に戻ればシステムはたちまち不具合を再発する。
じゃぁ、どうするかだ。答え自体は簡単だ。トリガーを引かせなくすればいい。たったこれだけなのだ。正直脳というシステムはあまりに高度でトリガーを引く仕組み自体を排除するのは非常に難しいといっていい。最終的にはその仕組み自体を直すのが一番なのだがそれは非常に長い時間が必要だ。じゃぁ、トリガーってなに?ってことになるがこれは自分自身を徹底的に洗い出していくしかない。
欝気味の人は考えてみて欲しいのだが、必ず自分自身欝じゃなかった頃の自分、欝とはまったく無関係だった頃の自分というものが存在するはずだ。欝のときはその頃の自分を思い出す、と言うアウトプットすら難しいのは良くわかるが、それでも考えてみて欲しい。その頃の自分がまさに正常な状態なのだ。それが思い出せたら次は「じゃぁ、いつから自分は欝になったのか?」これを考えてみて欲しい。あー、あの頃からかな?っていう時機が必ず存在すると思う。じゃぁ、さらに自分自身を自問自答し紙に書いてみたりして、さらに明確な欝になったきっかけ、というものを見出してみて欲しい。きっと絶対にそこにトリガーが存在する。それが根本的な問題なのだ。そこから一度躓くと、いろんなトリガーを新たに呼び出し八方塞になってしまったのが欝と言う状況だ。で、欝になってしまったときはあまりにトリガーが増えてしまい、この根本的トリガーが非常に見出しにくくなっている。いつまでが正常な自分だったかをきっちりイメージして欲しい。
そうやって自問自答して自分のトリガーを整理していくと最終的に自分自身の一番の心の問題が何かって言うのがわかってくると思う。それはいろんな問題があるだろう。人に裏切られた。何かを無くした。誰かとの関係がうまくいかなくなった。何かが出来なかった。お金がない。仕事がうまくいかない。いろんな要因があると思う。で、ここからが欝の人の本当の戦いが始まるわけです。欝と言うのはこのトリガーを引かさない、乗り越えてこれをトリガーでなくしてしまうて事が出来ないかぎり逃げ切れないのです。人に裏切られたなら、新たに人を信じれる関係を築くとか、仕事でケチがついたなら自分がほんとに納得しやってて自身を持てる仕事を見つけるとか。あと、そのトリガーを容認する、と言うのも手だと思います。それを認識して、自分は人付き合いが苦手だがそれを受け入れた上でこれからの人生その中でのやりくりをしていくぞ、とやっていくのも手だと言うことです。
ここで最終的に必要なことはトリガーを認識すると言うことです。欝と言う状況は周囲の状況への認識力を著しく低下させます。周囲の状況が正しく認識できないから余計に八方塞に追い込まれていきます。ただ、経験上感じたのは手遅れにならないかぎり、自分を変えて行きたい、治りたいという強い意思を捨てなければ少しずつでも周りの状況を認識していくことは出来ます。どんなにつらい現実でも認識していかなければなりません。ただここで言うのは認識だけで、それに対する行動まではまだしなくていいです。きっちり状況の認識が出来ないうちに行動をしても余りいい結果を生まないし、余りいい結果を生まなかったと言うことが更なるトリガーを生み出してしまいます。
そうやって自問自答(ほんとは欝に理解がある人とのディスカッションのほうがいいかもしれませんが、これはおそらくディスカッションする相手に絶対的な信頼をおける関係を築けていないと難しいと思います)を繰り返し、自分が最初に躓いたちっちゃな石ころが何かを見出せれば半分欝は治ったも同然です。
あとはその問題にどう立ち向かうかです。その方法は千差万別。問題の数だけ答えは存在します。ここで逃げなければ、きっとあの頃の自分が取り戻せます。
書いてて思ったのですが、もしあまりにアウトプットが正常に出来なさすぎる状況ならば薬を使って一時的に押さえ込み、その間にきっちり状況の確認をするなら、そういう薬の使い方はOKだと思います。ただ薬が問題なのは、アウトプットを改竄しすぎてハッピーになったり、無思考状態になったりして状況の認識という行動自体をやめてしまうことが多いからだと思います。それは単なる逃げで、戦略的撤退ではありません。薬を使ってアウトプット改竄の間にうまく問題解決行動をしないとだめということです。薬を使って「ああ〜欝から逃げれた、ハッピー」と思っているだけではそのままジャンキー一直線です。薬なしでは生きていけない人生になります。

欝と言う病気に対しては今の精神科はあまりに手を抜きすぎてると個人的には思います。ただ、現状の医療の現場からすると、おそらくこの根本的治療と言うことは物理的に無理なのも良くわかります。上でも書いたとおり状況の認識にはあまりもの時間がかかります。世の中石を投げれば欝な人に出会うようなご時世に(じっさい病院に行くとわかりますが、すごい人がたくさんいます。しかも薬を出すだけでも一人一人の診察時間は30分とかざらです)こんな手間をかけるのは不可能です。だからと言って「とりあえず自殺を止めれればいいや」的なジャンキーを生み出すやり方はどうかと思います。もっと欝と言う病気を病人自体に理解させて欲しいです。少なくても自分が病院に行った数回の時は欝と言う病気の説明自体はありませんでした。医者がしてくれたのは、欝のレベルの判断の問診とそのレベルに対する薬の処方、またその薬の効きの確認のみでした。
ここから先は勝手な深読み。もし上のことを医者がわかってやってて薬出し続けてるほうが儲かる。なんて思ってたら世の中嫌になる。

ちなみに今の自分のこと。今の自分は欝のトリガーをきっちり把握しています。このスイッチが入れば自分は欝方向に向かうと言うことを理解しています。でいろいろあがいた結果、その欝を引かせない状況を何とか構築できています。もし今の状況が崩壊すればまた欝のトリガーはきっと引かれてしまうでしょう。でもそのことを自分は認識できています。認識できていれば何とかやっていけるものなのです。多分自分の場合このトリガーを撤去することは不可能でしょう。墓場まで持っていくことになると思います。でも大丈夫。きっと共存できる。