青空を目指して2

どこまでも続く日々日常。ゲーム・音楽好きのおっさんの半生。日々日常とちょっとだけ思ったことの日記。

どうでもいいんだけど・・・

なんかここのところずーっと担当しているツールの不具合報告が上がっていた。なんかめんどくさいことが書いてある。このツールは機種ごとにコードが別々で、それぞれ何人か造った人がいる。10機種分位あって半分ぐらいは自分が担当していたが、今回このツールは最終的なメンテはしているもののベースは他の人が組んでいる。メンテの最中に随分と内容をすっきり整理しわかりやすくしたんだが、コアな部分はめんどくさいからそのまま放置していて、今回もソース開けてざっと見たらやたらノイズを感じる。あー、これおれが書いたコードではないな・・・。で、やたらテクニカルで他言語の方言バリバリな書き方・・・。
どうでもいいんだけど、くせつえぇなぁ。自分は基本わかりやすさを追求するから、言語仕様、ポリシーにできるだけのっとった形を求める。このソフトはDelphiで書かれている。Delphiはテクニカルさを排除した言語体系をもつ。C言語使いからすれば随分とわずらわしいことが多いんだろう。確かにちょっと頭の使い方が違う。自分はCだろうがC++だろうがジャバだろうがDelphiだろうが、かなり使える。さらにその言語のポリシーを重視する。だからDelphiC言語的表現をしようとは思わない。日本語を喋りながらその殆どの単語が英語みたいなものなのだ。
C言語スコープでソースを見れば「ああ、こういうことを書きたかったんだね・・・」って言うのは十分理解できるんだけど、これは通常のDelphi世界観からは逸脱している。正直これ正しく動くの?って言う不安を感じさせる。回りくどい書き方になってしまうがDelphiの世界ではこういう書き方はしないのよ・・・。もっと言ってしまうとDelphiの世界ではポインタは概念外なのよ。言語仕様的にとりあえずかけるようにはなっているけど。それはC言語のソースを無理やりDelphiにはめ込むためのフォロー的な世界観なんだよね。新規で書くのにこれはいただけない。もう、Delphiを理解する気が無いのがありありと伝わってくる。
言語っていうのはセンシティブなもので、一見文章的には同じ意味のように見えてもそこから生成されるコードは微妙に差があったりするものなんだよね。そういうところに配慮が足らないのがどうにも不勉強だな、と思って仕方が無い。造った人を履歴で漁って見て「ああなるほど・・・」確かにこの人は仕事真面目にやるし、すごくできる人なんだけど、独善的で配慮不足を良く感じるんだ。テクニックがある技術者にありがちな印象。やっぱりそういうのはソースにもありありと出てくる。力技で動かしているっていうのがひしひし伝わる。やはり僕はこの人の造るものを信用できない。
文章っていうのは人間性が強く出る。たとえそれがコンピュータ言語だとしてもだ。本物の文章と同じで表現から、文体から、また行間からいろんなものが読み取れる。コンピュータ言語は単なる命令の羅列ではない。一つの文章なんだ。数学世界において、公式が、証明が一つの世界を現すのと一緒だ。そこに思考が如実に出る。
今はまだこの不具合はこっちに回ってきてはいないんだけど、やっぱり回ってくるんだろうとログを斜め読みし、ソースを斜め読みし、世界観を頭にぶち込んでおく。すでに何箇所か違和感を感じている。違和感はほころびだ。綺麗にならした面に僅かにある傷やほころびだ。よく見ないとそれが何かはわからないが、見た瞬間にそれは違和感として伝わってくる。そしてその勘は多くの場合当たる。きな臭い空気を感じつつ、一旦上からの指示待ちという事で。