どうもこの爺さんに作業教えてもらう時にいろいろ面倒くさいなぁ、と思ってしまうんです。
何でこんなに面倒くさいんだろうな?と考えてみた。
まず、指示が異様に細かい。そんなん普通にわかるんだけどねぇ、と思うようなことを事細かに喋る。とにかく喋る。もう俺はめんどくさいから何も口を挟まず全て「ハイ」「ハイ」とYesマンをしているのだが、いよいよめんどくさくなってくる。おれも新社員じゃないんよ・・・。この業界20年以上やってる人間なんよ・・・。まぁそれはいいわ。丁寧なんだろう。
このこと細かな説明見ていると、あることに気づいてくる。ああ、このヒト相手を見ていないな、って。相手の状態や受けたときの反応などを一切拾っていないのだな、と。とにかく自分はコレを説明する!と決めた事を延々と説明しているんだろうな、と。一件丁寧にも見えるが、これは自分のやりたいことをやっているだけ。レクチャーではないと思うんだな。
コレをやられる側は、なんだろう、とても舐められている、人間扱いされていないような、そういう印象を受けてしまうんだな。昔の俺なら「あー、その辺わかってますから、コレとコレすればいいんですよね?」って話をまとめてしまうところなんだがね。まぁそれはそれで問題があると最近悟っているし。だからそういうことはせず、向こうが機械的にそういう指示をしてくるなら、こっちも機械的に「ハイ」と。必要最低限のコミュニケーションしかしたくなくなる。何か喋ろうものなら、すぐヒートアップして主導権を自分に持っていこうとするしな。そしたらこっちも更にいラットして、それは精神力の無駄遣いで。だからやめる。もう最近はそんなに忙しくも無いし。もう作業時間短縮するのもめんどくさい。作業時間を短縮しても何のメリットも無いし。暇になって苦痛なだけだし。出来るだけゆっくり、時間をかけてやるようにする。丁寧に、周り道をせず、めんどくさがらず。今までの俺とは間逆なスタイルなんだよな。
でもね。最近ちょっと思うんだ。結局こうすることが、一番めんどくさくなく、一番楽なやり方なのかもって思い始めているんだ。今までの徹底的な合理化の先に、合理化を最小化するのが最大の合理化になるなんて矛盾に行き着いてきた。基本的プロセスを丁寧に積み重ねることが結果一番の近道になるのかなぁと。ただ、コレには今までの膨大な経験や合理化の末導き出された理論に裏づけされた、必要な基本的プロセスの見切り、って言うものはあるんだろうな、って思う。丁寧にやることと、何でもかんでも全部やることは全然違うって言うこと。
そんなこんなで、もめずに、素直に全部受け入れて、最後に不明点をまとめてピンポイントに説明を要求する。これが結局一番楽だなぁ、と思っての最近の行動になるわけだ。
たぶんちゃちゃっとやっちゃえば、1時間もかからない作業だろう。でもそれをあえて半日かけてやるのさ。それが、みんなが丸く収まる、結局一番早い作業に違いないのさ。
俺も暇つぶしできてよいわ。