青空を目指して2

どこまでも続く日々日常。ゲーム・音楽好きのおっさんの半生。日々日常とちょっとだけ思ったことの日記。

気質

自分はほんといろんな精神障害的な気質を持っているなぁ、と痛感している。まぁわかってはいたんだが。アスペルガー的気質も結構あるし、ADHD的気質も確実にある。最近はやりのHSP的気質もある。しかしどれも極端に強いわけではなくその辺を無い人からすれば多大に気質があるが病的なほどではない、ってぐらいにバランスを取っている感じなんですわ。
ほんとそのへんはHSP気質が強くてよかったって感じです。つまり気遣いで内省的でみたいな素質が強かったから、アスペでもADHDでもそういうので何かができない、失敗することが苦手だったんです。失敗がとても心に重くのしかかる。でもいろんな忖度ができないから周りの人々からは疎まれる。でもなんとか自分はちゃんとできてるんですよ!っていうのを見せたくって、いい子だねっていう誉め言葉が欲しくて、ずっといろんなことを理解し、身に着けていったんですよ。だから自分は小器用なんですね。どんな物事でも、見て観察して本質を見抜いてそれを自分の中にインストールする。そうすることで手早くいろんなことをできるようになっていったんですよ。ただ、そこに熱量がないんですよね。単純にかまってちゃん、自分を見てほしい、そんな欲求から始まっている技術習得だから覚えてみても周りの受けが悪いとそれを極めるようなところまではやる気はないんですよね。極めるって事はインストールしたアプリをさらに使いこんで、いろんな経験から最適化を重ねることだと思うんですけど、そういう手間をかける熱量は無いんです。だれも褒めてくれないから。見てくれないから。次々にいろんなアプリを入れて、それを一通り動かして終わりです。まぁでも気づいた時にはそれが自分の中の資産になっていたんですけど。それらのいろんな要素を自分の中で大きく体系化できて全体的に使えるようにすることで以外に奥深くいろんなことに対応できるようになってきたんですよ。まぁ30代以降の話ですけど。
でもいまだにベースの気質は変わらない。それを補ういろんなアプリをインストールしてみたけど、やっぱり忖度はできないし。忖度って頭で概念はわかるし、考えればできるが。身についていない。無意識に行動するとできない。それと普通の人が日常的に当たり前のようにできる何気ないルーチンみたいな行動がやっぱりできなかったりする。頭の中でその行動への理解はあるんだけど、自分の中で本質的に意味を見いだせないとどうしてもやる気が出ない。そんなこんなで人付き合いは限定的で苦手だし。いろいろな学んだ技術でうわべだけのコミュニケーション術は持っていて意外と外面はいいんですが、本質はまるで人に興味がない。多くの対人に対して意味を見いだせない。意味を見いだせないからうわべだけの付き合いですぐに線が切れる。故に孤独になる。まぁそのかわり意味を見いだせた人間とは深いつながりを求めるのですが。
年取ってきていろんなことに折り合いがついたり、諦めたり、感じ方が鈍くなったり、昇華したりとずいぶん落ち着いたような気がしますが、まだまだですね。もう確実に俺は死ぬまでこうやって悩んでアプリをインストールして少し進んで、を繰り返していくんでしょうね。