青空を目指して2

どこまでも続く日々日常。ゲーム・音楽好きのおっさんの半生。日々日常とちょっとだけ思ったことの日記。

シン・エヴァンゲリオン

まぁ読んでる人も少ないだろうけど一応ネタバレ警告しておきます。見に行く気があるならナチュラルな状態の方がいい気がします。



見ている最中、全体的に強い違和感を感じた作品でした。あと、すごく大人な香りが漂う作品でした。作品的にはすっごく完全にエヴァンゲリオンの最後の話を見せてくれました。それはもう驚くほど完全なエンディングです。何の議論の挟む余地が無く、この一本ですべてがきっちり語られます。
序盤12分でしたっけ。前から公開されていたのは。前作Qからの続きとして描かれています。Qは破綻した、別世界の展開?みたいな考察も多かったと思うんですが正しくQの続編として始まります。ただ、その戦闘が終わったあとのしばらくは、正直何を見せられているんだ?というシーケンスが続きます。庵野世界なんだけどそこにはいままでエヴァではあまり語られることが無かった、有象無象の人々の日常が語られます。まるでジブリ映画でも見ているような強い違和感を覚えさせられます。さらに違和感として、とにかく語ります。何でもかんでも、今までだったらするっと流して「え?なにそれ?なんだった?」と思うような細かい出来事が克明にセリフとして語られる。そして、この作品がQからの続編であることを強く語るように、Qでの出来事の言葉による解説、破~Qに至る経緯など、いままであやふやにされていたところがはっきりと映像化され、はっきり語られます。なんですかこれは?エヴァってこんな喋る作品でしたっけ?
そして前半の結構長い時間を使い、この村のシーケンスは描かれるんですが、その実中身はQまでのおさらいと結構唐突感のあるシンジ君の復活エピソードとなります。あれほどウジウジしていたシンジ君が突然と復帰します。この辺のシーケンスはちょっと乱暴さを感じます。
シンジ君復活から一気に最終戦闘フェイズに突入します。ああ、この辺からエヴァっぽくなるのかな?と思って気合入れる感じです。相変わらずのはったり用語の嵐、偏執的な表現は、ああ庵野だなと思うのですが、なんとなく違和感はまだあります。全ての細かいシーンが投げっぱなしではなくきっちり語るんですよね。そして物語は佳境に入っていくのですが、この辺からゲンドウのお話にシフトしていきます。そして今までのすべてのエヴァのフラッシュバックが多くなります。展開もQの途中から急に旧劇場版~TV版の焼き直し感が強くなっていきます。結局やっていることは旧劇場のラストのゲンドウによるただしいやり直しに見えます。それは同時にスタッフによるエヴァの本来用意されていたラストへの回帰と本気のやり直しを感じさせます。とにかく終盤は今までどこかで見たエヴァのシーン、シーケンスの連続です。それをはっきり語ります。今までみんなで考察されていた通りのことが、公式にお話として語られます。そこに新鮮味は無く、ああ、やっぱりそうだったのね・・・。って言うような確認作業のような印象です。終盤ゲンドウ無双は見れますが、復活シンジの、破の時のようにあった圧倒的な力によるカタルシス溢れる超バトルと様なものもありません。やってることはもう多分どの登場人物より人外で超越的なんだけど、もう超越的すぎてメタキャラにでもなっている感じです。物語を自由に作り変える能力者になっちゃっていて派手なバトルになっていません。父→子のぶつかりとそれを悟ったシンジ君が受け入れていっている、って話に見えました。
そしてラストもどこかで見覚えのある、予定調和溢れるエンディングを迎えます。すべてのエヴァは消滅し、ゲンドウの野望はある意味成就し、シンジ君はみんなのなりたかった生き方を生きれる世界を再構築し自分もその世界で日常に帰ります。ラストシンジ君は大人になります。

見終わってカタルシスからくるような感動、みたいなものは正直なかったです。正直見た直後の感想としては「ああ、おわったんだ。長かった平成が終わったんだ。完膚なきまでに終わったんだ。みんな大人になったなぁ。監督もすごく大人になったし、見てる自分たちも大人になった。キャラも大人になった。その大人の世界にもうエヴァは必要ないんだなぁ」って事でした。そういう安心というか、すっとした心でちょっとうるっと来ました。
兎に角この作品は大人な香りがとてもします。今までのエヴァにあったような、見る人に挑戦状や嫌悪を叩きつけるような展開が一切ありません。見た人にすべてを間違いなく理解させる丁寧な作品になっています。そして強く感じたのが許容です。製作者が、今までのエヴァをすべて許容しそれをまとめ上げ、見る人たちをも許容している大人な展開です。なんどか出てくる「大人な香り」これがこの映画には溢れていました。
正直良くここまでまとめたもんだなって思いました。ここまで本当に考えていて今までの作品を作っていたなら大したものです。ちゃんとしたお話を作れるんだ、って思いました。劇場~本作までを奇をてらったトリックを使うことなく真向に一本の地続きなストーリーとしてまとめ上げたその力には脱帽です。素直にすごいです。
エヴァのちょっとしたトリッキーで、視聴者をあざ笑うかのような展開は本編には一切なくなりましたが、その実そういう香りもきっちり残されているのも面白いところです。本編にはそういうトリッキーな部分は一切見せない徹底ぶりだったのですが、この映画の予備戦となる広告展開において、その性格の悪さがふんだんに出ています。予告編は完全にこれから起こるであろう、不可解でトリッキーな展開を十二分に漂わせる演出がされています。そしてそのトンデモムービーを作るためのシーンもうまい事本編にちりばめられています。ただし本編のシーケンスに従ってみると特にトリッキーでもなんでもありません。でもこれからラストを期待するファンにとっては完全なミスリードを狙っています。そして劇場公開を前にして小出しにされたいろんな情報も、おそらく意図的なミスリードを狙ったものでしょう。公開前は、エヴァはループ物の作品である、とか、パラレルワールドとそのぶつかり合いだ、とか、演劇内演劇だとかとにかくいままでのエヴァをチャラにするような衝撃的な作品を存分ににおわせます。本編を見るとそういう情報が意図的に小出しにされたいろんなシーンからのミスリードなんだろうなってよくわかります。こういうところですごくエンターテイメントしていたなぁ、と思います。でも本編はやっぱり大人でした。そういう半ばエクスマウスデキナ的な、メタ的なトリッキーな展開は何一つなく、きっちりとしたストーリーで仕上げてきました。そこに逃げの意思は全く感じられません。製作者がきっちりエヴァを容認していると感じます。家に帰ってから得点の謎の紙きれを見たら、これも見る前にミスリードを盛り上げるための資料だったんですね。ふざけすぎw
個人的に一番語られるところが少なかったのはマリという存在でした。このキャラだけは結局この作品中でも多くを語らず終わらせていました。ここだけは昔からあるエヴァテイストが残っています。ただ彼女の説明は漫画版などで補完されている通りの背景を持つキャラです。そして彼女の存在がこの新劇場版シリーズで最も浮いていて意味不明だったんだけど、最後の最後で新しいものを見せてくれました。ああ、新劇場版って彼女の為のストーリーでもあったんだって。そこが唯一の新鮮な驚きだったです。
見終わったら23時回っています。一人劇場を後にして車を転がして帰る足取りは結構軽やかでした。すっきりした気持ちです。憑き物が取れたような晴れやかな気持ちです。みんな大人になって、いつまでもエヴァエヴァ言うてないで現実に帰ろう」そのストレートなメッセージが素直に受け入れられました。思えば自分も大人になった物です。それを再確認できました。
結論。いい映画だと思います。破綻なくきっちり作りこまれています。ただしそこに驚きやカタルシスは無く、大人な静かな作品だと思います。長いエヴァファンには必見のラストかもしれません。でも見なくてももう答えは十分に語られていました。その結末を再確認するためだけの儀式だと感じます。もっとエヴァという世界を拗らせたい人は受け入れがたい作品かもしれません…。