青空を目指して2

どこまでも続く日々日常。ゲーム・音楽好きのおっさんの半生。日々日常とちょっとだけ思ったことの日記。

ワイドショーとかテレビとか配信とか

最近家にいることが多いわけだ。そうするとテレビっ子の自分は結構テレビを眺めることになる。働いていると全然縁が無くなるお昼のワイドショー。しかしここで繰り返される世間の暗いニュースの数々。いじめ、パワハラ、事件、事故、災害。毎日毎日飽きることなく出てくる被害者とコメンテータのの気の抜けた議論。なんか出てくる人たちの会話の多くが上滑りしている。軽い。中身がない。ただただ視聴者感情を無駄に煽ろうとしているのが見え見え。時々解説の人の知らなかった話が出てくるのはそれなりにためになるが、そういうのは高速でスルーされて行く。
働いている時はこういうメディアには頼れないのでニュースはネット関連で見ていくことになる。ネット関連はネット関連で最近は偏向が多く、自分の力で漁らないとなかなかためになる情報は出てこない。ただテレビほどコントロール感が強くはない。テレビが鉄道だとすれば、ネットは車ぐらいの差は感じる。まぁ両方とも日常的に使う人間はなかなか決まったコースから抜け出せないんだが。車はまだコース選択の幅は広いわな。
こんなのを毎日毎日見ていれば自然に反体制的な思考が埋め込まれて行くんだろうなぁ、と強く感じる。最近は現政権に対するマスコミ側のバッシングは低くなっているような感じはするが、この辺も彼らの匙加減次第。ほんとにテレビにべったりの視聴者って言うのはすっげーコントロールしやすそうだ。
そうはいってもこうやってだらだらなんの積極的な行動も必要とせず一日中自動的に垂れ流されるストリーム配信と言うのは楽だ。とても。自分の手でコンテンツを探しそれを評価しつつ見る、というのは意外なほど腰が重い行為だ。若い頃ならばもっと貪欲に行けたののかもしれないが年を取ってくるとやはりこういうのは少しずつ億劫になっていく。時間があれば見たいなぁ~と散々思っていたNetFlixアマゾンプライムの広大なライブラリーを見せつけられても選択ができないのだ。働いていた時と同じようにやっぱりコンテンツのリストを延々と眺め「ああ、これ見たいなぁ」なんて思ってお気に入り!と入れるのだけど実際には見ない。当然肥大していくお気に入りリストは一向に減っていかず肥大化の一途をたどる。なんだこれ…。結局テレビは一日中ただだらだらとワイドショーが垂れ流され、今日も「被災地が~、被害者が~、ジャニーズが~」とうるさい。しかしそれに心地よさすら感じるこの感覚はなんだろう…。
テレビは時代遅れ、って自分も思っていたがイヤイヤそんなこともないな、と思う今日この頃。これほど楽な情報メディアはある意味優秀である。視聴者が介入する要素は数チャンネルの選択のみだ。とても楽ちんだ。こりゃ、100%ネイティブなネット世界の人たちが世界に満ち溢れるまではまだまだテレビは安泰だ。年寄りに優しいよ。そういう意味でテレビ業界にはもう少し頑張ってほしいかな。