青空を目指して2

どこまでも続く日々日常。ゲーム・音楽好きのおっさんの半生。日々日常とちょっとだけ思ったことの日記。

トイストーリー4

1~3は見ています。とても上質なファンタジーです。おもちゃ達は子供の日常の笑顔を支えるために陰でこんなに努力しているんだよ。だから子供たちはおもちゃを大事にしてね。って言うのがトイストーリーの概要となっております。その裏方的おもちゃ達の頑張りを、実は子供の見えないところでおもちゃは動いているという設定を入れることでトイストーリーはお話が成立しています。そして必ず来る子供たちとの別れの後を奇麗に描いたのがPart3です。Part3では大人になりおもちゃを遊ばなくなった家でのおもちゃ達の在り方をとても感動的に描くことで、このシリーズは輪廻の構造を持つことになり、みんなが幸せな世界を見せてくれていました。
その後9年の時を経て突然と生まれたPart4。あのウッディーたちの物語なのです。前評判で賛否両論と聞いてたところもありちょっと不安です。あれだけ奇麗に終わったさらに先の話を描くって何?めでたしめでたし、じゃないの?って。ウッディーたちは相変わらずボニーの家にいるんですがボニーの興味の移り変わりは早く、すでにウッディーは遊んでもらえないおもちゃになっていました。幼稚園に通い始めたボニーが自分の手でゴミから作り出したフォーキーが大のお気に入りになるのです。この世界のご多分に漏れずフォーキーは意識をもって動き出すのですが、彼は動き出すと「自分はゴミだ!」と言い、ゴミ箱に向かおうとばかりします。その勝手にゴミに戻ろうとするフォーキーをボニーのもとに連れ戻そうとウッディーは孤軍奮闘する、って言うのが基本のお話です。そうこうしているところで昔売られていった仲間のおもちゃボーとの再会を果たし一緒にフォーキー休出に向かうのですが…。
ここからはネタバレ上等です。


まずこのフォーキーの存在が違和感。もともとおもちゃ達は子供達のために裏で頑張っている、という名目で意識を与えられ動き出しているはずなのに、「自分はゴミ」と言いボニーが悲しがる行動(ゴミ箱行)を求めて行動し始める。これはおもちゃ達の行動原理から大きく外れています。フォーキーは何のために意識を持ったのでしょうか。しかもルールを無視した意識を。物語はボーと出会ってからちょっと怪しくなりますが、基本的にはフォーキーを助けるというドタバタで話は進みます。ただ正直なんでフォーキーを助けるのかイマイチわからずただドタバタやっているだけにしか見えずとても退屈です。話は終盤、ボーたちに愛想を突かされるあたりで一気にその牙をむきだします。いよいよこの話、何がやりたいんだよ?って言う感じに。そのあとはもう何だこりゃ?の連続でした。
もうおもちゃ達は子供たちに隠れて動く、なんて設定をガン無視するかの如く大人たちの行動に関与してきます。車を勝手に操作し、声を出して(本来喋る機構の無いはずのおもちゃが)誘導したり。彼らはもう子供達のために動いていません。ウッディーを助けるという自分たちの勝手な思いで動いています。そしてとってつけたようなギャビーギャビーの話。ここではある意味Part3の結末をもう一度見せることで感動を押し付けてきます。で、さらにやはりそうかって言うウッディーの最終選択。もう彼は子供たちのために頑張るおもちゃではなく、いつの間にか芽生えた自分の意思でボーと共に子供たちと決別して生きる道を選択します。とりあえず感動的ではあります。正直泣けます。
でも冷静に考えて泣けるけどダメです。このPart4はこのシリーズを本気でぶっ壊しに来ました。おもちゃ達が動く意味を破壊しただの妖精さんにしてしまいました。子供たちにとって大事なおもちゃではなくなって、自立した生き物になってしまったのです。これはどうかと。おもちゃというものの宿命を描いて感動的だった作品が、ただのお涙頂戴ドラマになってしまったのです。CG描画はリアルになったけど、その世界は現実の裏側をファンタジックに描くものから、ただのおもちゃと人間が共存するファンタジー世界になってしまったのです。こりゃじゃぁドラえもんとかと変わらないです(ドラえもんは好きですよ)。
ドラマでも泣けましたがその事実に気づいたら、そのやっちまった感にさらに泣けてきました。個人的に蛇足です。やる必要はなかったと思います。つまり否定派ですね。用が無くなったウッディーのこれからを明るく描いた、という見方もあるようですが、そもそもトイストーリーの世界観においておもちゃ達の幸せは子供達と一緒に過ごし子供たちの笑顔を見ること以外には無いはずなのですよ。そういう意味で彼はこれから地獄の日々を歩むわけですよ。欺瞞の日々を歩むわけですよ。それが幸せな結末とは到底思えません。これが幸せならこのPart4はやっぱりトイストーリーという世界をぶち壊したお話となります。トイストーリーという映画を重ねることでウッディーに本来以外の自我が芽生える、というメタ的な要素すら醸し出しています。彼の自我はトイストーリー三部作が作られたから生まれた物って事です。それは現実世界での話です。
まぁそういう意見はこのぐらいで置いておいてさらにこのPart4が残念なのは既存シリーズのおもちゃ達の扱いがすごく軽い事。本来フォーキー奪還は彼ら仲間たちとやるべきはずなのにそこは大人の事情でしょうか?新キャラに置き換えられ旧キャラは最初と最後に気持ち出てきて、しかも違和感バリバリの行動をしてくれているわけです。俺の大のお気に入りきゃらエイリアンズ(三つ目の三つ子のグリーンエイリアンたち)なんか序盤に見切れた程度で全然登場しませんでした。なんだよ、もう。旧キャラではバズもだいぶ変なキャラになってましたね。なんだよ、内なる声って。おもちゃの機能を超えちゃってるだろ。旧キャラじゃないですがフォーキーの存在も正直浮いている感が爆発してました。結局こいつの存在意義って何だったんだろう。もうおもちゃ達は子供のためじゃなくただの自由意志を持つ生き物なんだ、ってことを見せているんでしょうかね。
映画としても正直前半はかなり助長です。正直寝落ちするレベル。ぱっと見いままでの繰り返しばかりで全然見るべきポイントが無いです。残念です。
5点満点で2ぐらいです。

トイ・ストーリー4 (吹替版)

トイ・ストーリー4 (吹替版)

  • 発売日: 2019/09/27
  • メディア: Prime Video