青空を目指して2

どこまでも続く日々日常。ゲーム・音楽好きのおっさんの半生。日々日常とちょっとだけ思ったことの日記。

エレファントマン

デヴィッドリンチ特集ということで。イギリスに実在した奇形の人ジョンの反省を描いた作品。ジョンはもともとエレファントマン、として見世物小屋で見世物にされている。それが医学的興味を持った医師によって保護され、有名になっていくというお話、だが、リンチらしいというか、結構悪意に一為田支店溢れているように感じた。軽く考えずに見ると強欲な人々の金もうじぇの道具にされ人間扱いされない人間の醜さを悲劇的に描く、とか言いそうだが、この映画はそんなことは語っていないと思う、序盤から、エレファントマンの姿を描写することをじらし観客に、早く見せろという気持ちを起こさせる。これはもう、タイトルと、ポスターを見てこの映画を見ているお前たちは、このエレファントマンという見世物小屋に来ている人と何ら差はないと言っている。そして映画作成人事態興行師と同じと自虐的な演出。この映画はを見て感動して泣いちゃうような人は、映画の途中で出てくる、ジョンにあいに来て泣いてる人たちと何ら変わりはない。ジョンを見てかわいそう、ジョンを理解しとぁわれむ自分が美しい的な階級ににおぼれている。そういう自分と向き合わせる監督も悪意ある映画。ただラストはちょっと意味が分からなかった。彼は結局病院を抜け出し、同類や友だちのいる見世物小屋に自分の意志で帰るが、そこでも追い出され、人間世界に頬りだされるが、奇異の目で見られ、結局追い出され病院に帰るそこには自分を出しにした先生も友達としてふるまってくれたし、夢の世界にいざなってくれたりする人たちもいる。でも彼は結局普通の人間になりたいだけなのだ。別にどう扱われようが普通の人間としてふるまいたいのだ。障碍者とはそういうものなのだよ。どう見られようがいいんだ。自分のことは自分でできる普通の人と同じにふるまいたいのだ。あと。この映画で結局彼を人間扱いしてたのは看護婦たちだけ。結局ほかの人たちはみな自分の好奇心満たすため、金儲けのtsため、みんな他人が悪い、自分は悪くないと振る舞い責任の押し付け合いをしている。まさに現代もそう。結局介護保険なんてものを作りk実を出すから、金を出すから、見えないところでうまくやってくれと傍観者を決め込む。本当に障碍者と向き合っているのはだれなのか?と思う。結局家族しかいない。自分も障碍者になったのでこの映画は痛い…。でもジョンに感情移入はしないな、この監督に感情移入してしまった。この冷ややかな視点に。
でもラストのモノローグはさっぱりだな。こういうっ偏見差別意識は永遠になくならないってことか?