青空を目指して2

どこまでも続く日々日常。ゲーム・音楽好きのおっさんの半生。日々日常とちょっとだけ思ったことの日記。

エキトーでいい自分

最近よく思う。自分は本当はもっとテキトーに生きていたい、テキトーにやりたいんだって。なんか仕事でも周りでももっとこうできるはず!こうして!って良く言われてきた。割と素直にそういうの受け入れて頑張ろうとはしているんだけど、要求は過剰になっていくような感じを受けてしまう。その挙句、もうやってらんねー、自分はもともとテキトーに生きてきたんだよー!って暴れたくなったりするんです。
でもね、最近ふと気づいたんですよ。たぶんね、周りの人は別にそんな過剰な要求しているわけではないんだろうなって。みんなたぶん、できたら改善してね、あなたならできそうだし、ぐらいの感覚なんじゃぁないかって。でも自分では超過剰要求をされているような気がして、押し潰されそうになっているんです。でもこれってなんかおかしい。周りの人はそんなプレッシャーはかけていないはず。じゃぁこの押しつぶされそうなプレッシャーは何?って思ったんですよ。自分はテキトー人間だから、そんな要求できねーよ、って責任を他者に求めていたようなんですよ。でも違うようなんですね。どうもこんなこともできない、こんな要求をクリアできないってことを一番嫌っているのは自分なんですね。自分が一番自分に圧をかけているんですね。自分って人間はテキトーとごまかしながら、それを一番嫌悪してほんとはできるはずだ、と鼓舞しているのは自分自身なんですね。だからこんなこともできない自分を受け入れられない。否定したい。責めたい。そういうプレッシャーを自分で生み出し、自分で潰されそうになっているってことに気づいたんですよ。
これってありのままの自分を受け入れられていない、って事なんだろうと。自分をテキトー人間だと思う自分。自分をもっとできるやつだと責める自分。全部本来の自分を見ていないんですよ。はて、本来の自分って何だっけ?いつも自己分析をブログでやってきているんだけど、なんかよくわかんなくなってきます。
でもやっパり基本に立ち返えるしかないんじゃぁと思うわけです。できるのも自分。できないのも自分。これを正しく見極め受け入れるしかないんですよ。こうあるべき、は自分の本来ではないんですよ。目指す目標ならいいけど。テキトーな自分は単なる面倒くさい時の逃げなんだろうな、って思います。できないこと、やりたくないことから逃げたい時に出てくる自分。でもこれも知っている。逃げていちゃ気持ち良くない。
うーん。まとまらない。