青空を目指して2

どこまでも続く日々日常。ゲーム・音楽好きのおっさんの半生。日々日常とちょっとだけ思ったことの日記。

老害思考

最近はよく新しい曲、はやり歌を聞いていいる。YouTubeMusicをかけっぱとかにしてるし。新しくなくても自分が今まで聞いていなかった人の曲、知らない曲など目白押しです。そういう曲を聴くと若いころは純粋に新しいものに対する刺激として脳に自然に入ってきたものです。新しいものに対する脳の吸収力が、脳の柔軟性が良かったんでしょう。しかしもうこの年(アラフィフ)になると新しいものに対して全く脳がついていけません。聞いても全く理解できないのです。どんな音楽なのか全く頭に入ってこないのです。特に最近の曲は情報量が多いいものが多いきがするのでさらにその状態は顕著になっています。テンポが速く言葉数の多い曲とかほんと耳に入らず、理解できず。そして拒否反応を示します。そしていうのです「こういう音楽はつまんない」と。そして自分の持っている語彙を並べ立て全然理解できない物に対して適当な理屈を結びつけ、理解できないのは曲が悪い。自分は悪くない。自分はこんなに音楽に詳しいのに聞けないのは曲が悪いと、曲のせいに仕立て上げます。これが老害です。新しい物、理解できない物に対して、自分の持ってる既得権益を駆使して否定し、相手のせいにし、自分の立場を守る。それが老害です。
ほんとそうはなりたくない物です。でも確実に初見で複雑で新しいものを理解するのは難しくなってきています。なんていうのでしょう。例えば米津玄師の「感電」。これ最初聞いたころは、早くて何歌っているかわからなくて勢いだけの曲。とさっぱり理解できませんでした。米津玄師の「Lemon」を覚え、「パプリカ」を覚え、アルバムを聴きとしていくうちに「感電」で何を歌っているか、何をやっているか、って言うのがだんだん理解できてきて、そのころにはいいなぁ、と思えるようになってきました。今では歌っちゃえます。ボーカロイドベースにあるはやり歌(ヨアソビ、ヨルシカとかいろいろ)なんかも最初は強い違和感と強い反発を覚えた物ですが、今ではそこそこ聞けます。KingNuとかも最初は何やってるのかさっぱりわかりませんでした。難しかった。ほんと新しいものが入ってこない。
世の中にはまだまだ知らない物、新しいものが満ち溢れています。そういったものから目を背け、拒否する行動。それこそが精神の老化であり最も避けなければならない状態だと自分は感じます。いくつになっても自分の殻に閉じこもらず、あたらあしいものに目をやり、世界を広げていきたいものです。そういう人でありたいものです。
なんか数年前ぐらいまで体調も精神も絶不調でなんかすべてに意味を見いだせず、もう朽ち果てるしかない、現状維持が精いっぱい、みたいな時期がありました。ほんとに今までやっていた物、見ていた物が光を失い、興味のないものに移り変わっていく。そしてその変化を怖いとも思わずただただ無気力に向かっていっていた。これが老いだったのかもしれませんね…。人間脳の構成の変化やバランスの変化で本当に自分が意識できない自分の変化をしてしまうことがあるようです。そういうのは本当に避けたい。こうして文章を書いて、そういうものを確認できていったらいいなぁ。そして自分が老害にならないよう、なんとか抗っていきたいものです。