青空を目指して2

どこまでも続く日々日常。ゲーム・音楽好きのおっさんの半生。日々日常とちょっとだけ思ったことの日記。

断舎利とかなんとか

最近自分は断舎利とかよく書くけど、この前も思った。断舎利より売る行為のほうがキツイ。断然きつい。断舎利はある意味思考放棄だ。今まで自分の管轄下に貯めこんでいるいろいろなもの。いつか使うだろう。自分にとって必要だから。好きだから。そんなもともと意味を持って貯めこまれていった物たち。少なくとも貯めたときは自分にとって必要な物なんだったわけだよ。それを貯めこんでいるうちに存在を忘れ、貯めている、持っているという安心感、満足感みたいなものを与え続けてくれてたんだよ。しかしそんなことすら忘れさって、ふと気づく。なんか邪魔だな。
ここであんまり深いことを考えずに捨ててしまう。それが断舎利かなと思う。もう、必要ないと決めつけある意味機械的に捨てる。そこに心はない。手に入れた時の思いもすべて見なかったことにして捨ててしまう。もう振り返らない。すべて切り捨てる。
しかし売る行為は捨てる行為とは全く違う。自分の貯めこんでいた必要だったものたちが一度すべて値付けされる。再評価が行われる。きれいな思い出のまま消えてしまえばいいものを、すべて一度白日の下にさらしきっちり清算して行くのだ。これは堪える。キラキラ輝いていたはずの宝物たちはゴミとはっきり判断され通知される。見せつけられるたびに過去の自分のときめきを叩きのめしてゆく。買い取りというのはこういうことだ…。容赦ない。そしてすべてを引き取り渡される対価。自分のこだわりはこれぽっちのものだったのか。
まぁでもしょうがないところもある。自分はたとえばゲームとかはもともと売る気なんかちっともなかった。俺はこいつらに囲まれて幸せだ。そう思ってた。だからキレイキレイに保存してしておく気はなく、量貯めこむのに不必要な箱などは片っ端から捨てた。自分にとってはいつもすぐ使えることが重要だったし。しかし実際は使わなかった。ゲームなんて新しいものをこなすので必死だ。あと最近は貯めこまなくても古いものが遊べる環境が提供されだした。そうなるとむき出しの誇りのこびりついたソフトなんぞゴミなんだ。ハードも同様。こんな未来が来るとは思ってもいなかった。今思えば俺のやってた事はゴミ屋敷のおやじと同じだったんだな。コレクション、を名乗るならそれ相応のきれいな収集を行わなきゃいけないってことだ。そうしなきゃ価値がない。量集めればいいってもんじゃない。他人にコレクションと認めてもらうのはとても大変な行為なのだ。
今回の売却はほんとに俺の頭に革命を起こしたね…。まぁそういいつつ漫画なんかひょいひょい買ってるんだが…。