青空を目指して2

どこまでも続く日々日常。ゲーム・音楽好きのおっさんの半生。日々日常とちょっとだけ思ったことの日記。

モデル化

出来る人にはわからない。そう言われる。レビューで完成形ありきで指摘しまくったら泣かれる。
別に自分は天才とかじゃぁ無いと思っている。いや、むしろ出来の悪い人間だと思っている。世の中の勤勉で真面目で研鑽している人たちの足元にも及ばない。なんかテキトーにわかったようなふりしているだけって自分で思っている。頭がいい人たちの繰り広げる話とかにはついていけないし、理解できないことの方が圧倒的に多い。彼らがわかる一つのロジックが、自分には最小単位まで分解して一つずつどういう成り立ちで、意味があって、どう組み立てられて。そういうものを一つずつ確認していかないと意味が解らないのだ。頭がいい人たちのようにその部分を省略して進めることが出来ないのだ。算数で出てくる公式をそのまま受け入れて使えないのだ。本当に面倒くさい。馬鹿は困る。
自分なりにすべて意味が通るものにならないとその物を扱えないんです。言い返すといまそこそこ使えている物、技術などはそういう試行錯誤の末に身に付いた自分なりのモデルの集合体なわけです。そういう試行(思考)をずーっと小さいころから繰り返し、さらにそういうことを必要とされるジャンルの仕事をしてきて、いつの間にか目の前に現れる情報、事象、物なんか全てどういうモデル構成されたものなんだということを自然に考え、自分の中に積み重ねてきたモデルパターンから類似点や当てはまるモデルのからモデル構築をするからわりとすぐに、そのものの全貌をシステマティックに把握するようになっているんです。でもこういうモデル化が通用しない物に対してはやっぱりやたら理解に時間がかかります。上で書いた通り、最小単位の分解モデリングからして全部構築するまで理解できないからです。
そういう経験や訓練を経た今、出来る人にはわからない、とか、設計レビューで完成形が自分の頭の中にある中で、それとの差異を徹底的に指摘して泣かれる、とか…。もうどうしていいのかさっぱりわからないのですよ。これこそ理解不能なモデルなんです。
自分はできる人ではないから、そういう経験の上でのモデル化を武器に世間の荒波を立ちまわっているだけなんですよ。それを以外の戦い方を知らないんです。それを外れるためには外れるためのモデルが必要なんです。気が付いたらなんか何でもかんでも上から目線になり、歳を取ったらそれがパワハラチックになる。パワハラなんて自分が一番忌み嫌っているもののはずなのに、いつの間にか自分がそういうモデルに組み込まれている理不尽。でもちょっと俯瞰してみるとそういうものに組み込まれているな、ということが見えてしまう自分の思考パターン。自分が磨き上げた武器が自分を守るためではなく、他人を殺傷する武器にまでなって、知らず知らずのうちにそれを振り回しているという悲しきモデル。
もう怖くてどう立ちまわるべきなのかわかんなくなります。自分はどうすればいいのか。権力になりたくない。老害になりたくない。そう思ってきていたのに…。このモデルはどうしたら組み直せるのか。
ああ、なんか疲れているなぁ…。